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2019年4月

2019年4月 8日 (月)

愛犬との別れ

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私にとって唯一の家族であったワンコが平成31年3月25日(月)”虹の橋”へと旅立ちました。こんなに辛くて悲しい現実に押し潰されそうな日々です。16歳と1か月と1週間、一緒に生活していたのに今はガランとした室内に喪失感と寂しさで何もする気にもならず、ただボーっとした時間だけが過ぎてます。2週間経っても。。。

生花は、かかりつけの”かとう先生”から頂きました。かとう先生との出会いは5年前の狂犬病予防注射で近所の公民館に輪番医として来ていた時です。一般的には事務的に注射して終わりなのに、たまたま家のワンコだけしか居なかったのせいだったのかもしれませんが、先ず体形を観察して軽く触診して簡単な問診して注射をして貰らい、話をしてなかなか良い先生だな~と思い、病院は何処に有るか聞いた所、尾道なので通院するにはチョット遠いな~と。それから翌年の1月の日曜日にワンコが突然倒れ歩く事が出来なくなり地元の病院は休みなのでタウンワークで調べると、かとう先生の病院が開いているので迷わず伺いました。診察してもらうと前庭疾患で眼球が左右に振れているので目まいを起こしているとの事で、見ると激しく左右に振れてました。治療が終わり先生から今日の診療内容と薬など処置内容を書きますので、明日かかりつけの先生に渡して下さいと言われましたが明日もこちらに来ますと即断しました。この日から、かとう先生が我が家のワンコのかかりつけの病院と成りました。ワンコはアレルギーで外耳が炎症して痒がったり詰まってる状態が続き、その後も治療のため1週間の間隔で通院してました。

3月に成り眼の具合がどうもおかしいので点眼薬を処方して貰いましたが、最近に成ってキャッチと言ってオヤツを投げても上手く食べられず、落としたオヤツが目の前に有るのに探し回ったり、階段も踏み外す事も有って心配に成り相談したところ眼科の専門医が倉敷にいらっしゃると言う事で紹介してもらい直ぐ予約を入れ診察してもらうことにしました。診察の結果は最悪で緑内障で左目は既に見えて無いとの事でした。右目もこのままでは近い内に失明しますと、飼い主にとっては厳しい現実を突きつけられました。先生からは緑内障の説明と今後の治療法などの説明を詳しくしていただきましたが初期段階では無い現状では手術しか治療が無いと言われ、その場で手術をお願いしました。看護師さんからも手術・入院時の説明を受け手術の予約をして、凄く落ち込んだ気持ちで帰宅しました。その日から気分は憂鬱で何も手に付かない状態でした。

平成28年3月15日に右眼の手術を行い17日に迎えに行きました。10年程前に子宮蓄膿症でも手術した事が有るくらいで私から離れた事が無かったのと手術とケージに入っていたので診察台の上で凄く興奮していたので私の匂いをかがせたり顔を近づけるとやっと安心してました。先生からは手術は成功して順調な経過ですと言ってもらえました。その後、1週間・2週間後の診察でも経過は順調との診察でした。これでやっと何時もの生活に戻れるんかな~と。フレンチブルは興奮のスイッチが入り易い犬種で我が家のワンコはドライブが大好きで車に乗ったとたんスイッチが入りハァハァ!ゼイゼイ!と興奮し体温が一気に上昇するので寒くても窓を開けて走るのが当たり前に成ってました。そして久し振りに散歩へと思い何時ものダムへ行きました。その2~3日後に顔・額に手を近づけようとするだけでキャイン!と泣くのでこれは尋常では無いと直ぐ病院に電話し急患で行くと感染症に罹ってとの診断でした。治るかどうかは五分五分と言われ一縷の望みを抱いて1週間通いましたが遂に両目とも見えなく成りました。この時ばかりは自分の認識不足と馬鹿さ加減にワンコに申し訳なくてどうしようも無く泣きながら謝ってました。

Dscf4661 その後も通院は1週間から2週間の間隔で健診していただき1年が過ぎた頃に手術した右眼の様子が思わしくなく最終的に摘出の診断が成されました。もう眼は見えて無いので迷う事無く摘出に同意しました。この時、先生からは同時に左眼の摘出すれば左眼のケア(点眼や通院)をする必要も無く成る選択肢も有る事も伝えられましたが、失明しただけでなく両眼の摘出は不憫なので右眼だけにしました。写真にあるように1年で右眼だけで3種類・2種類の点眼を5回~2回してました。左眼は以前から眼を瞑る事が出来ず2~3時間間隔での点眼をして夏や冬のエアコンシーズンでは1~2時間おきに点眼が必要と成ってました。これだけで時間に縛られるのと昼夜に関係なく点眼する必要からプレッシャーとで慢性的に睡眠不足に成っていました。

Dscf4657 この間使っていた点眼薬です。また左眼がマバタキ出来ない事による目の乾燥を防ぐ点眼薬はこんなに使いました。当初は使い捨ての容器から通常の容器に。

Dscf4654pf 使い切りの容器でもラップで覆い4回ほど点眼してました。

また、この3年間での大腸炎・膀胱炎など高齢になって次から次へと色んな病気を繰り返し、補助食品としてビタミン剤やサプリなど処方されたのを含めると結構な量に成ってます。

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この3年間で倉敷へは60回ほど通院し尾道へは毎週行った計算に成ります。病院代と交通費を計算するとファミリーカーが買える出費です。私がワンコを飼いだした頃には未だペット保険は無くて近年に成って各社から販売されて入ろうとした時には高齢で掛け金も高かったので入らずじまい。人間と同じでペットも長寿命に成っている現在ではペット保険に入る事をお勧めします。また今回お世話に成った眼科医の先生も丁寧に対応していただき直接、電話をもらいワンコの状態を確認していただく事も有り、良い先生に巡り合う事も大切です。大変有名で診察待ちしていたら飼い主さん同士で色んな話が出る中で遠くは山口や高知からも来院している人がいるとか。実際に私が話をした中に新幹線に乗って鹿児島から手術後の定期健診で来た人や高松から紹介で来た人も居ました。

ワンコも高齢に成ってくると2か月に1回の割で下痢や嘔吐など体調不良に成って心休まる事も無く何処がどう悪いのか口が聞いてくれたらな~と思うのでした。

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かとう先生にお世話に成って1年程した頃に食欲不振と満足に歩けない状態に成り血液検査や膵炎検査キットなどによる検査で膵炎が判明し、高脂肪・高蛋白の食べ物は一切ダメで、この先,一生の食事制限と成ってしまいました。眼が見えなく成って食べる事が唯一の楽しみだったのに、オヤツさえ食べる事も出来なく成って可哀そうだなと思ってたら缶詰も適応した物が有ったので眼科で処方された薬も混ぜて与える事が出来て良かったです。そして3か月後に右眼の摘出手術でした。

翌H.30年4月には食欲不振で再び血液検査をしたところ腎臓病である事が判明しました。先生からはこの状態で腎臓の機能は30%しかないので、この先厳しい状況に成ると言われた時には動揺して目の前が真っ暗に成りました。そんな私を見た先生からは励ましと今後の治療方法の説明をされ前向きに風花ちゃんと一緒に頑張りましょうと言ってくれました。この日から点滴注射と皮下注射を2日置きにする事と成りました。かとう先生や眼科の先生からも夏場が危険なのでクーラーで温度管理をしっかりする様にと、アドバイスがありました。近年に無い暑い夏をどうにか乗り切り秋に成る頃には老化により後ろ足の筋力の低下でヨロつく感じでの歩行となり、また眼が見えない事により1日中寝る事が多いため脳への刺激が無く余計に認知症が進み私の言う事も分からず、この頃から一段とトイレなど介護の負担が増え、車に乗ると何故か大声で喚くようにも成りストレスを感じてるみたいで、運転している私も大きなストレスとなり診察の度に、かとう先生へ愚痴をこぼすように成りました。通院のストレスが有るようなので体調は安定しているので通院間隔を3日・4日と段階的に開けて行きました。11月に成り日曜の診察を終え帰宅して昼食にしようかと思ってたらワンコが急にバタンと倒れ痙攣を起こし口からは泡をはいているのを目の当たりにした時には何が何だか分からない状況で、オロオロするだけで”風ちゃん!風ちゃん!”と叫んでるだけでした。12時を回り病院は日曜の診察は午前のみだけでしたが電話をすると偶然にも先生が居て直ぐ来るように言って下さったので飛んで行きました。座薬をしてもらい落ち着いた様子で帰宅出来ました。今後も痙攣を発症するとの事で座薬を処方されましたがワンコのあんな辛い姿を見るのは嫌で嫌でどうにか2度と痙攣を起こさない様に祈るしかありませんでした。年も変わり1月に成ると再び痙攣を起こし座薬を入れようとするも中々上手く出来ず失敗し2度目でどうにか挿入し30分程したら落ち着いた様子で、私は精神的にクタクタでした。秋口から食欲の低下で体重も見る間に落ち、その間に何度となくハーネスの調整をしました。

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去年の3月には10kg程有った体重も2月の中頃には7.5kgに成り3月には7kgに。当然今までの様にドライフードを食べなく成ったので、どうにか缶詰だけでもと手でつまんで口元に持って行くとやっと食べてる状態。そんなんでこの頃には後ろ足には全く力が入らず前足のみ動かせる程度に。3月中旬以降は寝たきりの状に成り痙攣を何度も発症し血便もあり体重も6.3kgまで落ち先生からはもう先は長くないので、飼い主さんの納得が行くようにしてあげて下さいと言われました。帰りの車中では止めどもなく涙が溢れました。缶詰さえも食べれなく成って流動食を注射器で口元から少しづつ飲ませる事が出来ましたが遂に流動食も口にする事も無く成り最後はほんの僅かの水を飲みました。

3月25日に日付が変わろうかとする時間にまた痙攣が起こったので何時も通りに座薬を入れ30分過ぎても治まる様子は無く1日2錠までならOKと言われてるのでもう1錠挿入して見守っても痙攣が治まる様子は無く口の泡を拭きながら、”今迄と全然違う!”と心で叫んでいました。長くても5分ほどで治まっていたのに、また病院も開いている時間じゃ無いし頭の中は色んな事がぐるぐる回って普通じゃない感じで。痙攣は1時間20分も続きワンコは精も根も尽き果ててる状態で可哀そうでどうしようも無く。。。30分したらまた痙攣が始まって直ぐ治まったけど、しばらくすると軽い痙攣を幾度となく繰り返し。。。長い時間が流れ朝方には昏睡状態に成り荒い鼻息で辛そうにしているのを見ると”もう風ちゃん!頑張らんでエエから!”と何度も何度も言い身体をやさしく撫でながら泣いていました。そして大きな息をしたかと思うとサッキまでしてた荒い鼻息がばたりと止みました。慌てて手を心臓に当てるともう鼓動は感じられませんでした。”風ちゃん!風ちゃん!”と大声で叫ぶと既に心臓は止まってるにも関わらず、頭を持ち上げてブルブルとしました。昔からアレルギーで耳が痒い時や耳掃除をした後にブルブルとしょっちゅうしていたので、これが私への最後の挨拶として旅立ったんだと感じました。それからは悲しくて悲しくて、しばらくは泣いてました。

インターネットで葬儀場を探したけれど何処にするか決めきれず、かとう先生へ報告と今迄お世話に成ったお礼を言いに病院を訪ね、葬儀場のパンフレットも3種類ほど頂きました。病院で先生の顔を見るなり大泣きしてしまいました。先生からは”風花ちゃんも飼い主さんも本当に凄く頑張ったよ!ここまでやったてきた人はいないから!”と。

亡骸を見てるとずーっと泣けてくるので、その日のうちに葬儀をする事にして三原の奥の山陽道の脇にある所に決め午前中が開いていたので、お昼前の予約を入れワンコと”ふたり”での最後のドライブをしました。葬儀場では人間と同じ様な形式で葬儀が行われました。最初に焼香を済ませ葬儀の写真を撮り(自分でも撮影し)花に囲まれたバスケットの中でバスタオルの上に寝てバスタオルを折り返して上から掛け前足と顔が出てる状態で、切り花を顔や首周りに1つずつ飾りながら話掛けました。そして一輪の花とメッセージカード(風ちゃん楽しかったよ、ありがとう、さようなら)を添えて最後に本当のお別れをしました。

自宅には花壇も無くてお墓も作れないし自分一人なので後々の事も考え火葬とお墓は合同にしました。

一週間後に火葬が済み合同墓に埋葬されたとの通知と共に葬儀の写真も同封され、見たとたんに、また大泣きしてしまいました。

お墓にお参りに行く時に、かとう先生から頂いた生花のお礼を言うために病院に寄り点滴してる時に介護の助言をもらったり世間話をしてた看護師さん達に、お礼を言って先生にもお礼を言いました。先生から優しい言葉を掛けられるともうダメで涙が出てきそうで。かとう先生・看護師の皆さん、ありがとうございました。

お墓に着くと大好きだった缶詰を供え焼香し語りかけました。

    「”風ちゃんまた天国で一緒に暮らそうな”」

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