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2016年11月

2016年11月30日 (水)

「POLARIS HIGHWAY」 進水式 (内海造船 因島)

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11月29日(火)11時00分より内海造船 因島工場において自動車運搬船の進水式が行なわれました。丁度1年前の11月25日にも、ここ因島工場で同型船の2番船が進水しています。本船は4隻シリーズの4番船です。(1番・3番船はジャパンマリンユナイテッド株式会:JMUの有明工場で建造されてます。)

入場門を通り過ぎると一際大きな船体が現れました!。大きい!!

Dscf40011船尾方向の沖合いには既にタグボートも配置され準備万端の様です。

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_dsc00031今日は開場時間より少し遅れて行ったのでニュースレターは貰えないかと心配しましたが、かろうじて前回と同様にお祝いの瀬戸田産のレモンを原料にした粉末飲料と共にGET!これからの季節はホットで飲むと美味しいです!

今日の進水式は絶好の好天に恵まれましたが、カメラ撮影にはチョッピリ残念な逆光での撮影に成ってしまいました。

ニュースレターによりこの船のスペックを知る事が出来ます。(一般の方でも分かり易いようにと思い、自分なりに多少アレンジして書いているのでご了承下さい)

・全長:約199.99m

・全幅:37.50m

・深さ:38.23m

・満載喫水:9.90m

・総トン数:約77,000

・車両搭載能力:約7,540台

・車両倉:12層+ガレージデッキ1層

*ガレージデッキ:甲板上に有る居住区の後方に車両を収容する区画

・乗組員:31人

・航海速力:約20.0ノット(約37km/h)、船籍:パナマ 

 船級:NK(日本海事協会)

・起工 平成26年6月23日、 進水式 平成28年11月29日、

 完工 平成29年3月下旬

・この船の特徴として車両甲板の3層がリフタブルデッキ(デッキの高さを変える事が出来る可動甲板に成っており普通車より車高が高い大型車両を積む事が出来るように成っている)を有し、また鉄道車両の積載が可能と成っています。

・車両の搭載は船尾右舷と船体中央右舷のショアーランプドアから船内に入り船倉内ホールドランプ(各デッキの接続用の坂道)を経由して所定のデッキまで自走します。

・省エネ付加物としてSURF-BULB(スクリューの中心後方の舵の部分を球状にして後方に左右非対称のフィンを取り付けて渦流の効率を上げる。(=ネットでジャパン マリンユナイテッド株式会社での説明写真を見て自分成りに考えて書いた文章で説明したので分りにくいかもm(_ _)m?)を備えている他、船首を風圧抵抗低減型の形状としており、低摩擦塗料を採用する事で推進性能の向上を図っています。

・本船はジャパン マリンユナイテッド株式会社(日立造船が属していたユニバーサル造船と(株)アイ・エイチ・アイマリンユナイテッドが2013年合併)を主契約者として、川崎汽船株式会社様向けに建造される7,540台積み自動車運搬船4隻シリーズの4番船です。

Dscf40071この写真は船首に掲げられている各会社の社旗です。当日は風の向きが反対で丁度良い感じの写真が撮れませんでした。反対に写ってます。各社さんごめんなさい!。

左からJMU・SUBARU(富士重工)・川崎汽船・内海造船の社旗です。

富士重工さんの社旗が有ると言う事は本船は富士重工の自動車専用船と言う事かな~?

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来賓・主賓の入場に続き進水式の始まりです。

式場に居る人、全員で国旗掲揚に注目です。

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国旗掲揚に続いて船名の命名式です。命名は富士重工の取締りの方により「POLARIS HIGHWAY」と命名されました!。(POLARIS:北極星)

_dsc00091船名が正面から見えないので船名幕の開幕と同時に表示板の幕を外します。続いて号令から始まる進水式作業の始まりです。(鐘は掲揚ポールの陰に成ってます。)

1ば~ん(作業員の配置)、2ば~ん(ベル音と共に盤木=船底に敷いて支えてる木の撤去)

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3ば~ん(ベル音と共に安全装置の解除)の掛け声によって粛々と作業が進められいよいよ女性による支綱の切断です!。

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2隻のタグボートに曳航され艤装岸壁に向かいます。

今日も楽しい一時を過ごせました。

内海造船さん、川崎汽船さんありがとうございました!。

2016年11月13日 (日)

因島水軍城まつり

Dscf0434111月13日(日)10時~15時で尾道市因島中庄町の因島水軍城で”因島水軍まつり”が行われました。近所なので、どの様な行事が行われているか駆け足で少し見てきました。写真は水軍城入口から本丸を見上げた所で、この入り口は村上水軍の菩提寺である金蓮寺の正門の横に有ります。
村上海賊船奉納行事が行われる10時に行ったので写真中央に見えてる御門で地元の宮司さんによる神事が行われていました。

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門の向こうで海賊船に祭段が祭られ神事が行われています。

_dsc00741 村上海賊に伝わる軍船を水軍城まで笛・ホラ貝や太鼓の音に合わせ運び上げる行事です。
一気に担ぎ上げる事はせず神輿の宮入の様にユックリと進みます。途中2度ほどお祈りを交えながら本丸を目指します。

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本丸の入口

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本丸の周りでは”村上海賊になろう!”と言う事で甲冑を着て写真撮影が出来ます。

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はっさくんネイル”と”海賊キーホルダーを作ろう!”もありました。

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他には”村上海賊グッズ販売”や日本遺産パネル展”もありました。

本丸の左には二の丸が有り今回は長テーブルが置かれ”とのさまお茶会”の会場に成っていました。はっさく大福とお茶のセットで200円です。

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定番の顔抜きパネルも有ります!。本丸の資料館内の展示物案内。

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水軍の由来がパネルで説明されています。写真では見え難いので下に書き起こしました。( )内は補足加筆してます。

Dscf04521 南北朝時代およそ今から650年前、南朝方の天皇である長慶天皇の命により信濃国から村上師清(もろきよ)が瀬戸内に入りました。この師清は、北畠親房の孫で北畠顕成という人物ですが、村上氏の家督を継ぐことで、村上師清と改名しました。

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天授三年(1377年)村上師清は建武の新政後、空白をついて因島を支配していた北朝方の今岡通任を因島土生町の釣島(現在の鶴島)・箱崎の戦いで破り、因島を手に入れます。  因島の周囲は、およそ三十五キロメートルです。島の近くを航行する船を監視し、臨戦態勢に備えるため、二十四の城を築きました。

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村上師清には三人の男子があり、それぞれ三つの島に分立させました。長男義顕を能島、二男顕忠を来島、そして三男顕長を因島に配置しました。  ここに同門意識による統合によって、後世に知られる能島村上氏、来島村上氏、因島村上氏の村上三家が生まれました。

Dscf04561因島村上氏の初代当主顕長は又三郎吉豊ともいわれています。永享六年(1434年)室町幕府から海の治安を命じられ制海権を命じられ制海権を与えられました。制海権とは、海上に関所を設けて、航行する船から税金を徴集するというもので、この手続きを無視した場合は、沿岸各所からホラ貝や陣太鼓が鳴り響き、村上水軍の船の群れが波しぶきをあげて突進し、ひとり残らず討ち取るとともにその積荷をすべて奪い去っていくという激しいものでした。

Dscf04551 海外貿易も盛んにおこなわれ、朝鮮や中国、遠くは東南アジアまで赴き、海賊というよりは瀬戸内海の海上交通の支配者、そして海外貿易の商人という側面をもっていました。 この当時の石高は、十一万四千五百石にものぼりました。 こうした国内外の貿易と当時の支配階級との関係により、権力と地位を不動のものにしました。国内では水軍として厳島(宮島)の合戦(当初、因島村上が毛利軍に加勢し大内軍と対峙していたが多勢に無勢で太刀打ち出来る状況で無かったが後に能島・来島村上水軍が加勢して状況が一変したと言う)や大阪湾木津川河口の戦い(織田水軍対村上水軍)など幾多の合戦に参加し、歴史を動かす大きな原動力となりました。