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2015年9月29日 (火)

バランス!

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正面を見る体勢だと落とさない様にシビアにバランスを取るため、真剣に成り過ぎて睨んでる顔に成ってますね~。 (^ω^)

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鼻の上だと顔が分からないので頭に乗せると何かへん!?。 (´∀`)

Dscf21501中玉のトマトも何のその!。 (^Д゜)ノ

キュウリとトマトは我が家の小さな家庭菜園で収穫したものです。植え付けが遅かったのと日当たりが悪く日照時間が短いので生育が遅くどちらも未だ収穫中です。

ワンコは栗やサツマイモが大好きなので秋には何時も買って湯がいてます。

夏はヤッパリ、スイカが大好きです!ヽ(^Д^*)/

 

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今回のワンコの芸を”まるたま君”が動画にUpしてくれました。

こちらをご覧下さい。

2015年9月26日 (土)

秋の訪れ(因島アルプス散策)

F10005581_2因島で一番高い奥山(390.2m)と村上水軍の城跡が残る青影山(275m)を結ぶ稜線を因島アルプスと言われています。

めっきり秋らしくなった彼岸の頃に合わせた様に咲く彼岸花を見ながら大山峠を集合場所として、おっさん3人で毎週どちらかの山へトレッキングしています。

大山峠に向かう登山道の脇に山栗が成ってました。

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登山の道中にゲットしたドングリとアケビです。一緒に行ってる2人はアケビの事知らなかったな~。熟れて外の皮が割れて中の白い果肉を口に含んで中に沢山有る黒い種を吐き出して食べるんよ!と見本に食べながらレクチャーしたけど2人とも関心示さず(´ω`)。

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以前、T君がバテバテでシンドクて杖を突き下を見ながら歩いているので、下を見ながら歩いても、お金は落ちて無いやろ~!と(^m^ )からかった事も有るけど。山道はたまに上を見て歩いてたらハンドメイドで雑貨や小物を作る人にとっては宝物が見つかるんですね~。アケビの蔓は編み籠を作るのに最適だしサンキライの葉は餅を包んだり赤い実の付いた棘トゲの蔓やドングリや松ボックリもリースの飾りに成るしクラフト女子にとっては良い季節に成りました。\(^ ^)/

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青影山、山頂で疲れて座り込んでるT君、方や元気に動画を撮影するK君。何時もこんな感じでーす! o(^▽^)o 私も12kgの荷物を背負ってるのでバテテます。

登山道には沢山の種類のキノコが顔を出してます。中には絵本に出てくる様なキノコも有って食べたい気持ちに成りますが、女性の様に美しいモノには棘が有ってキノコには毒が有って怖いので見るだけにしときますぅ~!。 (。・・。)

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桜の老木に生えたサルの腰掛と倒木に生えた沢山の小さなキノコ。

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先週、今週と散策中に気に成ったキノコを撮影したのを載せてみました。ネットで調べようとしましたがキノコの種類が多過ぎて諦めました。 (_ _|||)

2015年9月23日 (水)

シルバーウィークは釣り三昧!(因島)

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すっかり秋らしくなったこの時期に成ると、瀬戸内では”ギザミ”と呼ばれる”きゅうせん”が良く釣れます。ギザミには青(実際は黄緑ですが信号機と同じ様に何故か?青と言ってます)と赤が居て青はオス、赤はメスです。赤の体格が大きく成ったメスの一部がオスに性転換します。黒鯛と呼ばれるチヌは反対にオスからメスに性転換します。人間界では、どちらのパターンもありますね! o(*^▽^*)o。

私も写真の友人と長崎水道に竿を並べ釣果を競いあいました。何故か?関東は勿論、私が居た和歌山でも好んで食用にされていません。職場の同僚と釣りに行く事も有ったので瀬戸内では美味しいので買ってまでして食べるのに!と教えてあげてもイマイチな受け応えで地域による嗜好の違いを感じました。 友人の後方2mほどに居るのは青サギです。釣り人からリリースサイズの魚を貰っているせいか手の届きそうな所まで近寄って来ます。先日、私も1匹分け与えた所、翌日直ぐに近寄って来て私が釣ったギザミを欲しそうにしていた所、隙をみてバケツに泳がせていたのを盗って行かれました!  (`・ω・´)

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海の上でも沢山の釣り船が出てギザミ釣りをしています。

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こんな感じで釣れる時も有ります。\(^ ^)/

私の釣果です。

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チヌも良く見ると種類がチョッと違います。今回はリリースサイズしか釣れませんでしたが右はヒレが黄色いのでキビレと言われてます。

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迷惑なクサフグも釣れます。 (*・ω・)ノ゜

Dscf20841赤ギザミ

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2015年9月13日 (日)

2015 ひまわりのせいくらべ (因島)

Dscf20951今年で6回目と成る「ひまわりのせいくらべ」が9月13日(日)因島重井町の万田発酵(株)さんの本社で行なわれました。健康食品や肥料などのテレビCMで全国的にも有名で因島の認知度向上にも貢献されていますね。万田発酵さんでは色んなイベントが定期的に行なわれており、次は11月に収穫祭も予定されている様です。

 今回の”ひまわりのせいくらべ”は万田発酵さんがひまわりの種と万田アミノアルファプラスを、今回のイベントに参加する小学校・特別支援学校・幼稚園・保育園などの1,731の施設に提供し、ひまわりの高さを競ったそうです。今年の優勝チームは何と!5m12cmでした!!。( ゚Д゚)

写真の、ゆるキャラは万田発酵さんの”だいちゃん”です。念願が叶い今回初めて目にする事が出来ました。写真を撮ろうしたら、コッチを向いてポーズしてくれました!(v^ー°)

 会場へはバイクで行きましたが、駐車場からイベントゲートまでの道の両側には”ひまわりのせいくらべ”に参加した各団体のひまわりの生長記録が掲示されていました。どれも楽しそうな観察記録でした。北は岩手(会場を見て廻り自分で見付けたので見落としが有って確かでないかも?)から南は沖縄まで沢山の学校や園児の力作が見れました(o^ ^o) /

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国旗掲揚台にはイギリスの国旗が掲揚されているけどマンチェスター・ユナイテッドFCのオフィシャルスポンサーに成っているのでかな?。

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ゲートの向こうには沢山のテントが並び万田酵素(株)さんの健康食品や肥料で作った野菜が販売されていました。ジャガイモが大きかったな~。そのジャガイモで作られた?コロッケも美味しそうでした。(^―^) その他ゲームや焼きそば等の食べ物の屋台も出てました。

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だいちゃん ぬいぐるみ¥1,000円 チョッと微妙かな?。

ネットを見ていたら今日のイベントが有るのを知り、急いでバイクに跨り行きましたが、会場に着くと最後の歌謡ショーが始る所でした。今日のゲストは生口島出身の”白鳥まゆ”さんでした。先日の因島水軍祭りから地元出身&関係の芸能人は沢山居るんだな~と改めて思いました。最初は”瀬戸の花嫁”を歌い次に子供達のために”ドラえもん”を歌って彼女の持ち歌に成ると本領発揮!今回のミニライブでも中々良い歌ありましたー(o^ ^o) / 最後はアンコールで決まりました。

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Dscf21151_230分+アンコールの歌謡ショーはアット言う間に終わり彼女のサイン入りCD販売のテントは盛況でした。

ゲートの出口では、お菓子の振る舞いが有り来場者全員に振舞われていました。私もご相伴にあずかりました。

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ゲートの出口には”だいちゃん”も立ち、先週末の東日本豪雨により被災した方達への募金が行われており私も些少ながら募金させていただきました。

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折角、来たので万田びっくりファームを見学する事にしました。

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夏には定番のジャンボスイカ!。目測でゆうに80cm以上有りました!。 \(^ ^)/ 

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大根の本葉がでているけど、これがジャンボ大根に成る様です。3月8日に開催されてたジャンボ大根祭りを見学した時、ビックリする様な大きさで感心したけど。どんな大きさか知りたい方は、このブログ内に記事が有るので見て下さい。

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因島でもバナナは立派に育つんですね~。

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このヘチマも2mほどに成るとか。育てる注意点が、実が大きく育つので支柱の強度を考慮しないといけないって!笑ってしまいますね~(〃^∇^)

今日は最近に無く久し振りに暑かったのでテントでの休憩所や冷茶は来場者には嬉しいサービスだったと思います。冷茶で私も一息つけました!

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今回も万田発酵(株)さんのイベントで大変楽しく一時を過ごさせて頂きました!。ありがとうございました!!m(_ _)m

2015年9月 2日 (水)

初秋の”しまなみビーチ”

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     8月30日(日)因島水軍祭りも終わり秋に成った9月、曇り空で涼しかったのでワンコと久し振りに散歩に出てみました。つい先日まで沢山の人達で賑わっていたアメニティー公園やしまなみビーチは平日なので訪れる人も少なく何時もの静けさを取り戻していました。Signalの旗も31日の撤収が雨天で延期されてて、ある意味ラッキーにも(関係者の方申し訳有りませんm(_ _)m)見学することが出来ました。

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こちらは小学2年生の夢が書かれていました。各々の夢に向かって羽ばたいて欲しいものです。半世紀を過ぎた人生を送っている私の夢は・・・。。。(´・ω・)

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”海まつり”で熱戦を繰り広げた小早も陸揚げされ、これから来年の7月の練習まで倉庫で眠りにつくのかな~?。

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小早の中は足を踏ん張って櫂を漕ぐ手に力がはいる様に足元に斜めに板が付けられてます。レースでのスタートダッシュの時には14人の櫂を漕ぐ息がピッタリ合い船首が波を切る音がして手漕ぎにしては結構早かったです。   (☆゜д゜)

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そろそろ帰ろうかな~としていると大きなザックを背負っている若者が居たので声を掛けてみました。冬山装備と同じ位に沢山の重い荷物で尾道から歩いてここまで来て、これから先の予定は生口島~大三島~ウサギ島(大久野島)へ行くとの事でした。ここから生口橋まで未だ随分有るので車で橋のタモトまで送ってあげる事に成りました。テントで野宿をしながら旅をするのも若さの特権かな~。o(゚ー゚*o)(o*゚ー゚)o

2015年9月 1日 (火)

いんのしま水軍まつり(海まつり)

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いんのしま水軍まつりの3部構成の第3弾として小早レースをメインとした水軍祭り最後のイベントが8月30日(日)因島アメニティー公園・しまなみビーチで行なわれました。

小早(こはや)とは戦国時代の軍用船で最も小型の船を指し”小早”はその機動力により偵察や伝令船として使用されていました。因島では村上水軍でも使われていた小早を復元し、水軍まつりで小早レースが行なわれています。

小早レースは14人の櫂の漕ぎ手、太鼓の打ち手と船頭による16人で小学生、中学生、レディース、一般の部で9時から予選が行なわれ13時から準決勝が行なわれました。

11時30分からは昨日の”火まつり”で行なわれた”跳楽舞はねくらべ”で大賞を受賞したスタジオSHIPによるキッズダンスが行なわれました。

12時からはミニライブの始まりです!。v(。・ω・。)

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シンガーソングライターの都竹宏樹さんです。NHKの「のんびりゆったり 路線バスの旅」(芸能人が路線バスを乗り継いで日本各地の魅力を紹介する番組で再放送BSで何回か見た事有るな~。)のテーマソングに成っている”青いバス”を歌ってるシンガーです。今回はこの曲を含めて全4曲を歌ってくれました。d(^^*)

次は因島にゆかりの有る”ひまり”のライブです。

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会場は恒例の!?全員でタオルをフリフリする曲に成って盛り上がって来ました!        ♪(゚▽^*)ノ⌒☆

気が付けば何時の間にか”はっさくん”も参加してタオルをフリフリしてましたー!。  (o^-^o) 

*”はっさくん”は今年も、ゆるキャラグランプリにエントリーしているそうなので応援してあげて下さい!。

ライブは手拍子したり腕を振ったりタオルを振ったりして会場に来ている人達全員が参加して楽しめるのが良いですね~!

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0_8小早レース会場では参加チームのテントがしまなみビーチの端までビッシリ建てられています。今回は小学校:4チーム、中学校:9チーム、レディース:6チーム、一般の部:36チーム、と沢山の団体が参加してます。

ビーチの遊歩道には因島各地域の城跡が有った城名の、のぼりが雰囲気を盛り上げています。


 一般の部とレディースの部の決勝スタートです。何れも熱戦です!!

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各部の優勝チームは、一般の部:烈風、レディース:小覇王レディース、中学校:一笑入魂 SOUL、小学校:因南魂 には優勝の櫂と木玉が手渡されました。

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 閉会式では御屋形様と因島水軍まつり実行委員長が今年の因島水軍祭り成功の祝いと、また来年の水軍まつりの開催に向け、会場の人達と”勝鬨”をあげました。エイエイお=!\(^○^)

今回の水軍まつりに携わったスタッフの方々に心から感謝いたします!。ありがとうございました。3日間思い切り楽しませて頂きました!。\(^○^)人(^○^)/

2015年8月31日 (月)

いんのしま水軍まつり(火まつり)

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いんのしま水軍まつりの第2部として”火まつり”が8月29日(土)因島アメニティー公園・しまなみビーチで行なわれました。当日は残念な雨でしたが、それでも会場の熱気と濃い内容で充実した”火まつり”を堪能させていただきました。(v^ー°)

0_2オープニングは”であい夢太鼓”による演奏から始りました。一生懸命、太鼓を叩く姿が力強く感じられました。

その後、麓俊貴氏による刀による演舞が行なわれました。

次は海上自衛隊掃海艇「まえじま」による開会宣言です。

 

 

0_3 チョッピリ残念な写真しか撮れませんでしたが、まえじまのマストには村上水軍旗がハタメイテいます。それよりも甲板上に目を凝らして下さい!隊員の方が帽子を振ってくれてるのが分かりますか!?これがイワユル「帽ふれー!」と言う艦船の挨拶です。操舵室からの号令により甲板上に整列した隊員が一斉に帽子を振ってくれています。\(^○^)

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こちらからは右端に有る国際信号旗によるUWの2文字の「ご安航を祈る」のメッセージを送っています。勿論この時、会場にいる人達全員でも手を振っています。当日のこの時間帯は大潮に近い干潮だったため「まえじま」は直ぐ近くを航行する事は出来ませんでしたが「まえじま」からの開会宣言は発光信号によるものでした。ここで”あんせいクン感動!”30年以上も前、モールス信号を勉強していたので和文のモールス信号が送られているのが分かりました。(ブランクが有るので文章としては頭の中で変換出来ませんでした(≧∇≦)

0_4大山百合香さんのライブの様子です。一緒に横で立ち見して居た福山からサイクリングで来ていた同年代の人と中々良い歌ですね~!ライブ最高ですね=!と二人で意気投合してました。(*^ワ^*)

孟子の教え「天の時、地の利、人の和」天の恵みの絶好のタイミングは地の利には及ばない。その地の利でさえ、人々の団結力には及ばないと言う意味で戦に勝つには、この3つの条件が必要だといわれてます。

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「天・地・人」の教えが込められた木玉の入場。

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馬神太鼓保存会と因南中水軍太鼓の演奏

0_8戦から小早一番隊の帰還により島人の老若男女が喜びの迎えの踊りを披露。

跳楽舞はねくらべ1部が終わり全員で踊りました。

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小早一番隊、入陣により篝火(かかりび)・大篝火点火

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ゲストの川満七重さんによるライブ演奏

0_13三線の演奏による琉球の民謡が心に染み入る感じで聞き入りました。

川満七重さんは大阪生まれですが祖父が沖縄県宮古島出身でその後因島に移住してます。そのルーツを辿り今ではで宮古島を拠点に民謡歌謡者として活動中だそうです。因島に、お父さんとお兄さんが居るそうです。私が知らないだけで因島ゆかりのアーチストって沢山居るんですね~。  \(^ ^)/

大松明本陣・入陣、全軍入陣

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御屋形様(吉充公)による下知・勝鬨

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0_12因島村上水軍陣太鼓による力強い演奏を聞きながら心の中はこの雨で花火は上がるのかな~!?と思っていると陣太鼓の響きが天に通じたのか雨は小雨に成り大筒花火が会場の人達のカウントダウンで火まつりに相応しく大きく打ち上がりました!。\(^ω^\)( /^ω^)/

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0_21跳楽舞の表彰

跳楽舞はねくらべ、ではダントツに完成度の高かった”スタジオSHIP”が2年連続で大賞を受賞しました。日頃の成果が発揮でき大賞を受賞しみんなテンションUPしてました。

賞状と木玉が授与されました。

その後、火まつりのフィナーレを飾るべく参加者・スタッフ・会場のお客さんも飛び入りで跳楽舞を心良く踊りました。

 

 

2015年8月 6日 (木)

いんのしま水軍まつり(島まつり)

Photo8月2日(日)10時より水軍城下の駐車場にて因島水軍まつり3部構成の1部として”島まつり”が行なわれました。島まつりはオープニングと位置付け、因島水軍まつりの成功と、先人に感謝する祭りです。皆が集い「いざ出陣」の勝鬨(カチドキ)をあげ、喜びを分かち合う祭りを誓いました。また、火まつりを2部として8月29日(土)火に照らされた夜の砂浜に鎧武者が集結し大松明の練りまわしがあり水軍太鼓に合わせ水軍跳楽舞(ちょうらくまい)が披露され、クライマックスに大筒花火などが打ち上がります。そして8月30日の海まつり、〆の3部として村上水軍が伝令船として使用した木造船「小早(こはや)」による競争レースが行われます。櫂のこぎ手14人と舵取りの船頭、太鼓を打つ人の計16人が乗り込み約1kmのコースで競われます。

写真は”ゆるキャラグランプリ2014”で137位/1,699で広島県内では1位の”はっさくん”の村上水軍衣装バージョンの後姿です。

 

本日の”島まつり”としてまず因島各町の城(公民館など)において出陣の儀式を行ないました。

1こちらは中ノ庄公民館にて行なわれた出陣式後の記念撮影の様子です。

この後、因島村上水軍の主な城跡から城主が集結します。青木城(重井)、幸崎城(大浜)、大江城(中ノ庄)、青景城(田熊)、美可崎城(三庄)、長崎城(土生)、茶臼山城(原・洲の江)。この中で行った事の有るのは月に1度以上トレッキングで行く青影山と今はお洒落なレストランと宿泊施設に成っている長崎城跡位です。その内、全ての城跡を制覇したいです。

 

Photo_2水軍城へは順次各隊が到着し報告。

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各隊が到着すると因島村上当主村上新蔵人吉充公が入場し公を中心に各城主が左右に整列。前列は吉充公護衛隊。

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火渡しの儀:因島村上の先祖を守る菩提寺より聖なる火を因島村上当主村上新蔵人吉充公が受け取り、弓矢により先陣隊を選び順に各城主に分け与えます。先陣:長崎城隊

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木玉返還:昨年、小早で優勝したチームから木玉(木の球)が各城主へ返還されました。

割符授与:各城主より、小早レース及び跳楽舞参加のチームに参加許可の割り符が与えられました。

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三献の儀:(水軍兵法書にある出陣の儀式)因島では勝ち栗、のしイカ(延ばす)、昆布(喜ぶ)などをつまみ、共に水盃をあける。水杯(ミズサカズキ:二度と会えないかもしれない別れのときなどに、互いに杯に水を入れて飲み交わすこと)

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村上新蔵人吉充公が先ず三献の儀を行なった後、各城主と一緒に三献の儀を行なう。

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 下知(ゲジ・ゲチ:支配下の家臣たちに直接下す命令のこと)を読み士気を高める。

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吉充公が因島水軍まつり出陣の勝鬨をあげ、喜びを分かち合う祭りを誓いました。

 

因島村上水軍陣太鼓:迫力ある大太鼓の鼓動が会場全体に響き渡り、マサシク身体全体が空気の振動と共に響くのに感動しました!。生で感じるこの迫力。

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跳楽舞(飛び跳ねながら踊る)

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 跳楽舞は踊りを知らない子供も大人も見様見真似で飛び入りで参加出来る楽しい踊りです。会場では多くの人が参加していました。

 

会場は数日来続く炎天下の中、”はっさくん”や甲冑で正装した水軍武者の人達は大変だったと思います。

2015年7月27日 (月)

高野山 (その2)

1_2真言密教のシンボルである、この根本大塔は弘法大師が高野山を開創され最初に着手した建物の1つで壇上伽藍(僧侶が修行をする閑静清浄な所)の中心に有り、朱色の高さ48.5m、23.5m四方で堂内中央には大日如来(胎蔵界)が祀られています。現在の大塔は昭和12年に再建された六代目ものです。

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大伽藍への入口は金剛峰寺の横に有るこの蛇腹路(じゃばらみち)から入ります。弘法大師が高野山の配置を龍に例え、このあたりが龍のお腹付近にあたる事から蛇腹道と呼ばれるように成ったそうです。この道を進むと最初に目に入るのが東塔です。昭和58年年に再建されました。

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東塔の横には三昧堂(さんまいどう)が有ります。この堂は歌人西行が30年にわたり修行したところだそうです。このお堂の前には西行が植えた桜も有ります。

三昧堂の横には大会堂(だいえどう)が有ります。このお堂は鳥羽法王の皇女である五辻斎院(ごつじさいいん)内親王というお方が、父帝の追福のため建立されましたが当初はこの場所ではなく、後にここへ移築されました。

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右の建物は愛染堂(あいぜんどう)です。このお堂は醍醐天皇の勅願により天下泰平を祈るために建立されました。現在も護摩祈祷を定期的にされているので何度か訪れた際に、祈祷されているお坊さんの後ろで手を合わせてお祈りしました。

1_7左手にある、この不動堂は高野山内で最も古く壇上伽藍内で唯一、国宝に指定されたお堂です。現在のお堂は14世紀初頭に再建されたもので明治41年この地に移築されました。このお堂は大変興味深く四隅の作りが全て違い4人の大工が四隅からてんでんバラバラに造ったと江戸時代から言われているそうです。

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厨子の扉は硬く閉ざされ本尊である不動明王を拝観する事は出来ませんでしたが普段見られない内部を見る事が出来て満足でした。

不動堂の先に有る階段を上ると根本大塔があります。その反対側に大塔の鐘が有ります。

Fuji_camera_049この鐘は大師が発願され二世真然大徳の時代にようやく完成したと伝えられています。現在の鐘は1547年に完成したもので直径2.12mあり日本で四番目に大きな鐘であったことから高野四郎と呼ばれるようになりました。現在でも毎日午前4時、午後1時、午後5時(春季彼岸中日より秋季彼岸中日までは午後6時)、午後9時、午後11時の5回に分けて108の鐘の音を高野山内に響かせています。

 

 

11根本大塔と並んで弘法大師によって創建され壇上伽藍で重要な金堂が有ります。この堂は当初は講堂と呼ばれ高野山一山の総本堂で今でも主な行事はここで行なわれています。本尊は高村光雲作の薬師如来で、また曼荼羅の軸が掲げられてますが平清盛が自らの額を割った血で中尊を描かせた「血曼荼羅」と言われています。経年劣化による損傷が心配され先日、デジタル技術により複製の軸も作られたそうです。

 

1_3金堂の裏手には弘法大師が唐より帰国する時に明洲の浜から真言密教を広めるに相応しい場所を探すために日本に向かって三鈷杵と呼ばれる法具を投げた所、紫雲が現れ雲に乗って飛んで行った。日本に帰国後、根本道場を建てるのに相応しい地を求め諸国を旅している時に白黒の2匹の犬を連れた狩人に出合い道場に相応しい地は無いか尋ねると犬に案内させると言って狩人はその場を立ち去った。

 

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途中、夜を明かすために神社に立ち寄ると、夢枕に女神が立ち、「あなたがこの山に来られたのは私の幸せです。この山を永久に献上します」と告げられた。そして犬に導かれるままに高野(たかの)を訪れたところ、唐の砂浜から投げた三鈷杵が松に引っ掛かっているのを見つけ、それにより、この地が真言密教を広めるに相応しい場所として決心したそうです。その言われからかこの松葉は3葉に成ってます。

ここを訪れた人達はこの松の下で3葉の松葉を拾ってます。私も拾ってお守り代わりに大切に財布に入れてます。

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三鈷の松の前には御影堂(みえどう)が有ります。このお堂には、弘法大師が右手に三鈷杵、左手に数珠を持った有名な軸が祀られています。この軸は真如親王直筆の「弘法大師御影像」です。ここは高野山の重要な聖域の1つで有り限られた人しか堂内には入る事が出来ませんでしたが、近年に成って旧暦の3月21日(弘法大師が入定した特別な日)の前夜に行なわれる「旧正御影供」の時に外陣のみへの一般参拝が許されるように成りました。(写真の扉の内側をぐるりと廻って参拝出来ます。)当日、私も参拝しました。この日は伽藍内の殆どのお堂の正面扉が開放されていて祀られている仏様を拝む事が出来ます。(当然、、金堂などで秘仏と言われている仏様は見れません)根本大塔も正面扉が開けられ外から大日如来を拝むことが出来ます。

1御影堂の左横には准胝堂(じゅんていどう)が有ります。本尊の准胝観音様は弘法大師が得度の儀式を行う際の本尊として自ら造立されたと伝えられているそうです。現在のお堂は明治16年の再建です。

写真の通り通常はどのお堂も正面の扉が閉ざされており正面の覗き窓から入る明かりでしか仏様を拝む事が出来ません。壇上伽藍で何時も堂内を拝観出来るのは根本大塔と金堂のみです。(有料ですが拝観する価値は十分有ります!)

 

1_2孔雀堂は干天(日照りで長く雨が降らないこと)の時に後鳥羽上皇の御願により東寺の延杲大僧正(えんごうだいそうじょう)が祈祷し、成就したことにより賞賜として建立されました。本尊の孔雀明王像は快慶作で重要文化財に指定され、霊宝館(高野山に関する沢山の国宝や文化財が収蔵されてます)に収められています。今では代わりの本尊が祀られていますが旧正御影供の時に拝観させて頂いた時の本尊は孔雀の背中に仏様が載っていました。

 

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西塔は杉木立の中に建ち趣の有る佇まいを見せています。弘法大師はこの西塔を根本大塔と同様に密教世界の重要な建物として位置づけていました。大塔が胎蔵界大日如来に対して西塔は金剛界大日如来が祀られています。光孝天皇の勅命により高野山第二世である真然大徳によって建立されました。現在の塔は1834年に再建されてます。写真では分かりにくいですが石灯篭は江戸時代に世界で初めて全身麻酔を用いて乳癌手術を成功させた華岡青洲(和歌山県紀の川市)の寄進によるものです。開創1200年記念として今年、中門が再建されましたが、この木立の奥に有る樹齢数百年の檜が中門の再建に使われています。

Photo_2六角経蔵(ろっかくきょうぞう)、皇后の美福門院得子が後鳥羽上皇の菩提を弔うために創建しました。堂内には経が納められています。このお堂の前に立つと腰の辺りに把手が等間隔に何箇所か設置されており台座の部分が廻る様に成って一回りすれば一切経を一通り読誦した功徳が得るといわれているそうなので1人で挑戦しましたが全くビクともしませんでした。おじちゃん、オバちゃんの団体さんも挑戦してましたが廻りませんでした。日頃の功徳が足りんのかな~?

 

1_6山王院は御社(みやしろ)の拝殿として建立されました。山王院とは地主の神を山王として礼拝する場所の意味です。現在の堂は1845年に再建されたものです。

御社は弘法大師が高野山開創にあたり丹生明神・高野明神を勧請しました。ここで言う丹生明神は三鈷の松で説明した女神で狩人は高野明神だったのです。また総社として十二王子・百二十伴神がまつられています。

 

1_7日本は古来より神を信仰する国でしたが平安時代には仏教が大きく信仰を集めた時代でした。平安時代には空海と一緒に唐に渡った最澄がいます。最澄は唐で天台宗を学び比叡山に延暦寺を建て修行の場としました。比叡山からは多くの開祖が誕生しています。浄土宗の法然上人、臨済宗の栄西禅師、浄土真宗の親鸞聖人、曹洞宗の道元禅師、日蓮宗の日蓮上人、時宋の一遍聖人、天台宗真盛派の真盛上人と多くの宗派が誕生した事から比叡山は仏教の母山と言われています。

真言宗では人間は生きたまま仏に成れるとの教えがあります。空海は唐で密教(みっきょう=ひみつのおしえ)を学び高野山をひらきました。密教は、お祈りやおまじないによって望みをかなえたり、病気や災いを除いたり出来るといわれ、嵯峨天皇に子供が授からず空海の一番弟子である甥の智泉が祈祷を行い男子を授かった事から高野山を賜ったとの経緯もあります。高野山に一番最初に御社を建てた事からも空海は日本古来の神と仏教を崇め奉る神仏習合の思想も持っていたようです。

2015年7月15日 (水)

「AFRICAN GROUSE」 進水式 (内海造船 因島)

Dscf15811平成27年7月15日10時より、内海造船因島工場にて「AFRICAN GROUSE(アフリカン グラウス)」の進水式が行なわれました。今日も夏らしい青空で進水式にはピッタリの天気でした。(v^ー°) 4月7日にはAFRIKAN JAYが進水し今回のこの船で4番船だそうです。(同一のオーナーから同型タイプの船を受注し、今回4番目の船)前回の進水式との船形が一緒で船名もAFRICANだったので作業員の方に聞いたら瀬戸田と因島で建造して、この船が4番船と教えてもらいました。 今回で3回目の進水式に参加させて頂きましたが、その場に居る人達皆が儀式に参加し感動を共有するこのワクワク感はたまらないです!(´∀`) 

 

Dscf15841まるたま君と現地集合し2人で中門より入場し今回も瀬戸田レモンを使った粉末飲料を頂きました!。(^^*) 

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80tの大型クレーンの下を通り抜け進水式会場に近づくと早速、まるたま君が動画撮影してます。

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クレーンをくぐり抜けると何やら砲丸投げの様な鉄球が沢山有りました。ソフトボールと野球の中間の大きさです。コレ何に使うか想像出来ますか?。船の下に並べ、ベアリングの様にして進水式の時に船を滑らすための物です。 船を建造する船台は進水させるために坂の様に成っており船尾付近にはゲートが設置されており進水式の時には開放され船尾は大潮の満潮で既に海水に浸かってる状態です。

Dscf15901舷側(船の端)の船底に斜めの板と白い四角の物が有りますが、斜めの板は横揺れ防止のスタビライザで四角い板は亜鉛板です。外洋を航行するフェリーや貨客船には、お客さんの船酔い防止のためにコレよりも大きな物が電動で出し入れ出来る様に成っている船も有ります。(普段は抵抗に成るので格納し波が荒れると出す)亜鉛板は電蝕(でんしょく)と言って、金属が海水との電気分解で化学反応を起こし電気が流れる事により腐食されるので敢えて電気分解により腐食され易い亜鉛を設置して点検で定期的に交換しています。どんな船にも付いており伝馬船で使う船外機などにも亜鉛板は付いてます。

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2人共、十分撮影したあたりで10時に成り進水式の始まりです。船主で有るアラブ首長国連邦の国旗掲揚に続いて日本の国旗掲揚。そして船名の命名を行い鐘の音と共に進水式作業の始まりです。

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 1ば~ん(作業員の配置)、2ば~ん(ベル音と共に盤木=船底に敷いて支えてる木の撤去)3ば~ん(ベル音と共に安全装置の解除)の掛け声に続き女性オーナーの手で斧が振り下ろされ支綱が切断されると船首でシャンペンが割れ船が船台の上を滑りだすとクス玉が割れ中から5色のテープと紙吹雪が舞い関係者や見学に訪れた人達から風船が放たれました。

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船は会場の人達の感動と共に無事に進水しました!。  \(○^ω^○)/   入場時に貰ったレジメによると、今回の船の特徴は二重船側構造により船体強度と外部損傷による被害を最小に保つことが出来る様に成っています。従来は外板1枚なので事故などで損傷すると海水が流入し船が傾いたり燃料が流出する等の環境問題が有りました。また写真でも分かる通り幅広浅喫水の構造なので水深の浅い港湾や河川、運河および湖などへの航行が可能な船型と成ってます。積載可能な貨物は木材、穀類、石炭、鉱石、鋼製品などで、これらを30tのデッキクレーン4基で荷役出来ます。船のスペック(仕様)としては全長:183m、幅:30.6m、深さ:14.5m、満載喫水(最大に荷物積載した時の船の沈む深さ):10m(船体色の茶色と黒の境目)、船の総トン数:約23,850t、載貨重量:37,700t、乗組員:25名、航海速力:約14.1ノット(1ノット=1,852m)時速約26km。 起工:平成26年6月23日、進水:平成27年7月15日、完工:平成27年10月中旬。

船が滑り降りた船台には無数の鉄球が残されてました。少し見えにくいかな?

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Dscf16491↑作業員の方のヘルメットから海に向かって2列でボコボコしたのと、←作業員の方の前に有るのがそうです。

今回進水したの船名のGROUSEには”すばらしい”と言う意味が有ります。

蛇足ですが船の代名詞はSheです。なので欧米では女性の名前を付ける事が多いです。因みに日本では平安時代に自分の事を麿(まろ)と言っていたものが自分の大切な所有物にも麿と言っていたのが丸に成ったと言う説が本命だそうです。日本では昔から〇〇丸と言う船名が多かった事から外国を行き来する日本船を総称して丸Shipと言われています。

今日進水した船台の隣では既に自動車運搬船が建造されてます。パッと見に乗組員の乗降用のラダー収納が右舷後方に有ったので作業員の方に確認したら正解でした。

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             この船の進水式は秋頃かな~。(^-^)

台風11号のコースは17日未明に、瀬戸内海に向かって来ており今日は未だ夏らしい暑さでしたが、台風の風による我が家の1坪ほどの家庭菜園が心配です。最近に成ってやっとキュウリが収穫出来る様に成り、プチトマトも実りだしたのに(´Д`)。