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2015年10月29日 (木)

尾道散策 (古寺巡り5)

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西国寺の仁王門から続く参道の階段を上り、金堂の有る境内には古寺巡り4でも紹介した、お堂以外にも未だ有ります。このオブジェの向こうに見える向島の岩屋山と今までに紹介した浄土寺・千光寺とも何やら関係が有るみたいです。

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このオブジェの隣には鐘楼、手前には十三仏が祀られています。

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十三仏は亡くなられた人を極楽浄土に導いてくれる仏様です。法要などで軸が掛けられているのを見た事が有ると思います。

金堂の背面には、子もらい地蔵 が祀られています。

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次は金堂の裏手の石積みの高台に向かう階段を上がります。そこには沢山のお堂が建立されています。このお堂は大師堂です。弘法大師が奉られています。逆光なので分かりずらいですが右手前には右手に剣を持った不動明王が祀られてます。

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不動堂には不動明王立像が中心に祀られています。左は准胝観音菩薩坐像。

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このお堂の前には力石が置かれてました。

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試しにチョッと持ったけどウンともスンとも動く訳が無いです!。ヽ(≧Д≦)ノ

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通常は開けられていない門の横にはお百度参りの百度石が建てられています。

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次はもう少し上に有る三重塔へ行きます。道中や裏山の摩尼山には摩尼山八十八ケ所として仏様が安置されています。

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永享元年(1429)足利六代将軍・義教によって建立された三重塔です。

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秋の空に映えて美しいです。またこの塔の裏手にはひっそりと五輪塔が有りました。

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ここまで来たので千光寺からの光を受けたと言われる頂上付近に有るタンク岩へも行ってみます。道中は先程の八十八仏が案内してくれます。

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巨石が連なっていました。一番上に有る岩が平面に成っており尾道水道に面しています。タンク岩の由来は、戦車に似ているから!だそうです。昔話的には合わないな~。(*´Д`)

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西国寺の仁王門に掲げられている藁草履は仁王様のたくましい足にあやかろうと願掛けの草履が奉納されスポーツや足腰の悪い方が参拝に来られるそうです。この仁王門から金堂に繋がる参道の両側には桜が植えられており春に成るととても美しいです。昔来た時はまさしく春の陽気に誘われて来ました。その時は沢山の人で賑わっていました。

今日はここまでです。part6をお楽しみに!。\(・ω・)/

2015年10月27日 (火)

尾道散策 (古寺巡り4)

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西国寺の仁王門は人の背丈以上もある大きな藁草履で有名です。

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尾道を代表する西国寺。まさしく見所満載のお寺さんでした。ヽ(゚∀゚)ノ また参道に隣接した持善院や金剛院も訪れる価値は大です!。 ヾ(*ΦωΦ)ノ

西国寺の山門をくぐると108段の階段が立派な金堂に向かって続いています。仁王門から少し行くと左手に持善院への階段が有ります。

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山門を入ると左手に直ぐ本堂が有ります。そして目に付くのが厄除けと招福の臼と杵が対で参拝する所に有ります。これは何なんかな~?。 (´・д・)

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臼の蓋に書き物が有りました。私は勿論!書いている通りにしてお願いをしました。 ( ^∀^)/

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本堂に関心する内容と、歳をとった時のホッコリする内容が書かれていました。 (´∀`)

自分は何歳まで生きるんかな~?。

参拝を終えて西国寺の参道に戻り少し行くと右手に金剛院への参道が有ります。

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隣は再建中?新築中?で立派な本堂が出来上がっています。こちらのお堂で礼拝します。

正面扉の格子から中を覗いて、え~エ~! (゜∀゜)

Dscf04301大きなカラス天狗のお面がコッチを見てます。 (# ゚Д゚)

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また、お堂の裏に廻ると!

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真ん中の3つが三天狗さんと言われ石で作られています。この天狗さんを持ち上げる時に願いを掛けながら持ち上げ、軽く持ち上がると願いが叶うと言う言い伝えがあります。5つ並んでいる上の写真の左端のお面を願いを掛ける前に持つとムチャクチャ軽くてアレ!!(゜д゜)って感じで軽く持ち上がって、何か軽すぎるな~!?石や無いな~と思いながら石膏?。次に左から順番に持ち上げると流石にサッキのとは全然違う! (*'へ'*) ズッシリと重いけど微妙な感覚。大きな、お面なので重いと言えば重いし軽いと言えば軽い感じ!。お願い事は先ほど訪ねた持善院での事が頭にフッと過り、健康長寿で周りの人に迷惑を掛けずにポックリ逝く様にお願いしました。 (´人`)

礼拝を済ませ西国寺の参道に戻り歩みを進め108段の階段を上りきると金堂です。

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礼拝を済ませ次のお堂へ。左手奥には尾道護国神社(左)と加茂明神社がお祀りしています。お寺さんなのに神社も同じ境内にあるんですね~。

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108段の階段を上って直ぐ左には英霊殿が有ります。

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今回はここまででーす。 続きをお楽しみに!!。 (゚▽^*)ノ

2015年10月23日 (金)

尾道散策 (古寺巡り3)

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日本における多宝塔の起源は高野山の壇上伽藍にある根本大塔に有ると言われているらしく、そのため多宝塔の多くが真言宗系の、お寺に多く有るそうです。和歌山に居た時に和歌山市の隣の岩出市に根来寺(真言宗十八本山の一つ)にも国宝の多宝塔が有りました。

616年に聖徳太子によって創建され来年、開創1,400年を迎える浄土寺は本堂も国宝に指定され長い歴史により文化財も沢山収蔵されています。

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阿弥陀堂(国重文)と多宝塔(国宝) 境内には沢山の鳩が遊んでいます。

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境内には、この様に鳥居が二つ並んで建っていました。鳥居は神社を象徴するものとしてお馴染ですが神仏習合の影響により、この様に寺院にも設置されています。

何か気が付きましたか?。普段、神社仏閣に参拝している人の殆どが気が付いて無いと思います。 鳥居には大きく分けて2種類の鳥居が有ります。2本の石柱を支えるように平行して上下2本の石材が有りますが下側の作りに違いがありますね~。左側の鳥居は伊勢神宮に代表される神明鳥居と言います。そして右側は安芸の宮島で知られる厳島神社の大鳥居を明神鳥居と言います。皆さんも神社仏閣を訪れた時に少し気にして見て下さい。(このブログで”高野山 その3”の中でも総石作りの霊屋が有りましたが、あの鳥居も2種類ありました。)

前回からの流れで順路から浄土寺は最後の方ですが、今回、一番最初に訪ねたので忘れない内にUPしました。前回からの順路で次は福善寺です。

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残念な事に一番このお寺さんで有名な山門を撮影するの忘れてました(≧∪≦*)

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境内に大きな松の根が有ってブラシで磨いてみました。

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また境内には鷲が翼を広げた姿のような立派な”鷲の松”が有ります。

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このお寺の山門の横にも参道が有りますが、そこには昔”時をかける少女”で撮影されていた”タイルの小路”がかろうじて残っていました。(´A`。)

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路地を歩いてるとノスタルジックな懐かしい昭和を展示していました。

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太陽も千光寺の方に沈みかけているので今日はここまでです。バイクを置いている駅方面に向かって久し振りに本通り商店街を歩いて帰ります。

尾道を代表する食べ物と言えば尾道ラーメンですね!。本通、海岸通、尾道駅周辺にと沢山のお店が有ります。私は30年以上前に当時から一番店で有名な行列の出来るお店で初めて尾道ラーメンを食べました。尾道ラーメンを全国区に押し上げたお店の1つだと思います。この日は夕方だったので、行列は有りませんでしたがコンスタントにお客さんの出入りが有りました。私はオニギリを食べて2時間も経ってないんで残念ながらパスしました。

そう言えば以前、テレビでラーメン人気店1番を決めたのが和歌山ラーメンでそのお店も以前から人気で何度か行った事ありますが人の好みなんで何とも言えませんが、私的には同僚に教えてもらったお店が無茶苦茶美味しかったな~。職場では一時期みんなでラーメンを食べに行くのが流行ってラーメン店巡りをして固麺どころかハリガネとか言って1~2分しか湯がいてない麺を食べて自慢していた同僚がいました。(^ω^*)

 女子に人気の有る帆布さんのお店が有りました。私も若かれし頃、通勤時に帆布のショルダーバックを使っていました。

インフォメーションセンターも有りました。

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尾道駅前の海岸通りは芝生がはられイベント会場としても使われる様に整備され観光客も瀬戸の海を見ながら潮風に吹かれていました。

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尾道古寺巡りはこれでチョッと休憩です。この続きは気が向いたらまた写真撮りに行きます。その時までお楽しみにー (ノ*゜ー゜)ノ゜

2015年10月22日 (木)

尾道散策 (古寺巡り2)

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千光寺を下って来ると天寧寺の三重塔が有ります。元は五重塔だったんですね~。

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見事な五百羅漢が並んで圧倒されます。自然と手が合わされます。本堂の中も見る事が出来ました。本尊の左右に襖絵の獅子と龍の墨絵も立派でした。見所満載のお寺さんでした。

千光寺ロープーウェイの傍には艮神社(うしとらじんじゃ)が有ります。天然記念物にも指定されている樹齢900年とも言われている幹周りが約7mの大楠に圧倒されます。ここの境内では時をかける少女ふたりのロケも行なわれています。

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次は妙宣寺へ行きます。

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境内には枯山水の様に砂が敷きつめられています。

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次は慈観寺です。牡丹寺として有名で、また珍しい夫婦松があります。

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善勝寺の境内には四国八十八ヶ寺の御砂霊場が有り1周する事により巡礼を体験出来ます。

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また仏様の後ろには三鈷の松が有ります。落ち葉をを拾って持ち帰ろうとパンフレットに挟んでいたら落としてしまいました! (TヘT)

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大山寺へ行きます。ここは受験生の参拝が多いそうです。

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この梵鐘のところでNHKの朝の連続テレビ小説”てっぱん”の撮影が行なわれてましたね~。遠く向こうにロープーウェイが見えます。

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次は御袖天満宮です。学問の神様である菅原道真を奉っています。隣の大山寺と境が無く敷地が繋がって知らない内に境内を行き来してました。菅原道真が大宰府に就く途中、尾道に立ち寄った際に里人に親切にしてもらったお礼に衣服の袖を渡された事が、この神社名の由来だそうです。拝殿まで55段の階段が続きます。

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そしてこの階段を見てアッ!(☆゜д゜)と感じた人が沢山居る事だと思います!。

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大林監督の「転校生」で主人公の高校生男女が、この階段を転げ落ちて身体が入れ替わったんですね!。何か、あの光景が目に浮かびますね~。(´∀`) アベックがそのマネをして階段の途中で抱き合った状態で写真を写すのが当時は隠れたブームだった見たいです。今も写真撮る人いるのかな?私が訪れた時は誰も居なくて良かったです。もし頼まれたら、そんなカメラマン嫌だ!! (# ゚Д゚) その後も「てっぱん」で、おのみっちゃん(瀧本美織さん)がバイオリンを弾いていましたね。遠いあの頃にタイムスリップしてみたいですねー!

今日はここまでです。 また続きをお楽しみに! (゚∇^*)

2015年10月21日 (水)

尾道散策 (古寺巡り1)

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尾道と言えば文学と、お寺の町ですが尾道を代表する小説の1つに林芙美子さんの放浪記が有ります。この石碑に刻まれている文章は故郷を離れ久し振りに帰省した時に誰でも感じる古里への思いが表されています。この像は尾道駅から本通商店街に行く途中に有ります。

秋晴れの中、以前もお寺巡りをした事が有りますが久し振りに訪ねて見ました。尾道駅から林芙美子像を見てJR上の歩道橋を渡るとこんな可愛い小鳥が居ました!。(´∀`)

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昔は何処にでも沢山いたのに最近はあまり見掛ける事が少なく成りました。どうしたんかな~。スズメの直ぐ先に、こんな案内図が有りました。

Dscf04091尾道駅の待合所に有る観光案内所で古寺巡りのパンフ貰ってやって来ました。

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先ず最初に訪れたのは持光寺です。にぎり仏で有名ですね。

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Dscf04181古寺巡りのルートは写真の通り道標(みちしるべ)や歩道がタイルに模した舗装で区別し古寺めぐりの順路で有る事を示しています。また、道中トイレや休憩所がポケットパークと言う名称で整備され観光客にとって親切な観光巡りに成っています。

尾道は坂の町としても有名で狭い土地に家が入り組んでいるため道路と言うより路地を巡る事に成ります。

 

次は光明寺です。

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宝土寺です。

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途中、志賀直哉の旧居が有りました。入場料が要るので外観を見るだけ。

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平山郁夫画伯の”しまなみ海道五十三次スケッチ”ポイントです。

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歌人、中村憲吉、終焉の家です。

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次は千光寺です。玉の岩の上に有った如意宝珠は何処へ行ったんでしょうね~?

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観光で来た若者達も礼拝していました。他のお寺にも有ったんですが大きな数珠が井戸のツルベ落としのように掛けられ、それをそれを引っ張ると数珠の隙間が有るので玉がカチャカチャと音をたてます。正面の上に滑車が見えます。数珠は多分108の玉だと思います。

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先日、行った石鎚山の鎖場をまた登って来ました! ヽ(´∀`)ノ

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100円の浄財を納めイザ挑戦!Gパンは思った様な屈伸が出来ないので危なかったー!

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山頂で、ご本尊に手を合わせました。山頂からの眺望は最高です。

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玉の岩の裏手にも如意宝珠に似たような鏡岩が有りました。前住職からの言い伝えでは如意宝珠の明かりを、また朝日を西国寺山頂に有るタンク岩に反射させたとの伝説の鏡岩だそうです。

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現地で見た時は単に岩を削っただけでイマイチだったのですが今、写真で見ると確かに輝いてますね~! ヾ(゚д゚* *゚д゚)ノ

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本堂のご本尊と祀られている秘仏の千手観世音菩薩の手と繋がった紐がここに有ります。この紐に触ってお祈りするとご利益が有るとか・・・本堂の正面の礼拝する所にも有るので離れたここでお参りする人は居ないと思いますが。。。

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Dscf04751プラッスチックハンマーが設置されており私も叩きましたが岩の中が少し空洞に成っているみたいでした。

これより少し登ると展望台が有ります。

猫の小道?狭いって事かな?歩いたけどキャットウォークの様な高く狭い道でも無かったし?。

展望台に上がって来ましたが私には関係の無いオブジェが有ります。

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お決まりのハート形の鍵に2人の名前が書かれています。

Dscf04711左手には恋人の聖地も有りますが、どうせ1人で行っても仕方ないので文学のこみちを行きます。

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この道は因島公園にあるつれしおの石ぶみと同じ様に遊歩道の岩に文学者の代表する小説の一文が刻まれています。

 

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Dscf04891本尊が毘沙門天さんで七福神の一人(商売繁盛の神様なので、まるたま君の商売繁盛を祈りました。)

近くに公園が有り遅い昼食を取りました。

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何時ものオニギリ弁当です。家庭菜園で取れたミニトマトと味噌汁が増えました。

食事中は余り考えて無かったけど食べ終わって屋外で、お椀を使って、お弁当を食べるのって傍目から見たら変ですよね~!(ฺ-ω-)

古寺巡り2につづく。。。(お楽しみに!)\(^○^)/

 

2015年10月19日 (月)

高野山 (その3)

1奥の院は弘法大師が835年3月15日から永遠の禅定(座禅瞑想)に入り予言通り21日寅の刻に御入定されました。そして未来永遠に迷える者、苦しむ者を救済するために瞑想に入り、今も祈り続けています。そのため高野山の中でも最も清浄な場所と言われています。

そして、お大師様のそばで供養されたいと願い皇族・公家・戦国武将など時代を超えて20万基を超える、お墓や供養等が立ち並んでいます。

この写真の五輪塔(供養塔)は高さが6.6mあり奥の院では最も大きい事から一番石といわれています。この供養塔はNHKの大河ドラマのヒロインで取り上げられていた江姫(徳川二代将軍秀忠の正室であり豊臣秀吉の側室淀君の妹)です。

五輪塔は上から空輪(宝珠形)、風輪(半月形)、火輪(三角形)、水輪(円形)、地輪(方形)から成っています。これは仏教による五大要素を表しているそうです。宗派によって要素が違うみたいです。重量を軽くするため?中は少し空洞に成っているようです。

奥の院への、お参りは表参道(御廟まで約2km)と裏参道(御廟まで約1km)が有ります。一般的には広い無料駐車場が有るのと御廟までの道のりが近いことから裏参道からお参りする方が多くいられます。(足腰の弱い年配の人が多いためかな?)

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こちらは表参道の入口にあたる一の橋です。ここから奥の院へお参りに行きます。お大師様はここまで送り迎えに来てくれると言われており合掌一礼してお参りします。この写真から見える様に橋を渡ると樹齢何百年もの大杉が出迎えてくれます。そして諸大名の立派な供養塔が立ち並んでいます。

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戦国時代を代表する武田信玄とその子、勝頼(左)の供養塔です。

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そして少し歩くと信玄とライバルにあった戦国大名で最強と言われた上杉謙信の霊屋(たまや)が有ります。(子の景勝も祀られています)

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参道の脇には弘法大師が休憩のため腰を下ろした腰掛石が有ります。六角形の枠で囲っている中の石です。

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井伊掃部頭と言えば幕末の彦根藩主。安政の大獄で桜田門外の変で暗殺された井伊直弼の事です。

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薩摩島津家供養塔(四番石:4番目に大きい供養塔)

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戦国大名で独眼竜と呼ばれた伊達正宗の供養塔も有ります。

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豊臣秀吉の側近として有名な石田三成の供養塔

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陸奥国の藩主であった佐竹義重の霊屋。卒塔婆形の角材を並べ壁にした珍しい霊屋です。

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初代、市川団十郎 (この付近に明知光秀の供養塔も有ります。)

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ほぼ中間地点に成る中の橋です。

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中の橋を渡ると汗かき地蔵のお堂が有ります。汗かき地蔵は黒い石に地蔵さんが彫られていて人々の犯した罪や苦しみを慈悲により変わって受けて下さり汗を掛かれているように見える事から汗かき地蔵と言われています。時にその石の表面が濡れている事があるそうです。

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このお堂の右側に姿見の井戸が有ります。この井戸を覗き込んで自分の姿が見えない時には3年以内に亡くなってしまうと言う言い伝えが有ります。私も何度か覗き込んでいますが、この通り今でも大丈夫です!。

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この先は43段の階段に成っています。覚鑁坂(かくばんさか)または三年坂とも言います。予想された方もいるかも?そうです!この坂で3度転ぶと3年以内に亡くなると言われています。私が子供の頃に墓場で3度転ぶと亡くなると言われてましたがここからきたのかな?。

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三年坂を撮った辺りに高さ90cmほどの禅尼上智碑の供養塔が有ります。耳を当てると極楽の声に似た音が聞こえるとか!?私も耳をあてましたが何も聞こえて無かったような?そもそも極楽の声ってどんなの?。

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この坂の頂上付近にパナソニックの供養塔が有ります。この奥に経営の神様で有名な松下幸之助さんの供養塔も並んで有ります。

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この先には興山応其上人廟(こうざんおうごしょうにんびょう)が有ります。応其上人は織田信長に続いて高野山を攻めた豊臣秀吉を説得し高野山を焼き討ちから守るとともに高野山に多大な貢献を行ないました。

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ここまでは表参道から入場された方が参拝出来ます。この先で裏参道と合流し裏参道からの道を突っ切ると最初に紹介した江姫の供養塔が有ります。これからは奥の院へお参りに行かれる人達が見る事が出来ます。

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二番石となる浅野家の供養塔です。浅野家と言えば播州赤穂の浅野家が有名ですがこちらは本家筋に成ります。

参道にはこのように化粧を施されたお地蔵さんもおられます。

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高野山には宗派を超えた方々の供養塔が有ります。浄土真宗の開祖、親鸞聖人や浄土宗の開祖、法然上人です。

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江戸時代百万石もの石高を有した最大の外様大名であった前田家金沢藩。その前田利長の三番石。

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奥の院内で一際目を引く霊屋が有ります。越前松平家初代当主である松平秀康と母公を祀る霊屋です。その作りは全てが石で作られている事です。初めて見た時はとても不思議に感じました。

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階段を上った先の広い敷地に天下を取った豊臣家の供養塔が有ります。

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そして、参道のその直ぐ先にひっそりと織田信長の供養塔も有ります。

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忠臣蔵で有名な浅野内匠頭の供養塔も有ります。

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水向け地蔵さんが清浄な玉川を背に並んでいます。地蔵菩薩、不動明王や観音菩薩が並んでます。供養所で水向塔婆を求めご先祖の供養を行ないます。

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御廟橋までやって来ました。この橋は36枚の石板で作られており橋全体も1枚として数え金剛界37尊を表し石板の裏には各仏様の梵字が刻まれています。この橋の向こうには荘厳な世界が待っているかのような霊域を感じ穏やかな気持ちに成ります。

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この橋を渡ると弘法大師御廟の霊域に入ります。ここもお大師様が送り迎えに来られると言われており参詣者は、合掌一礼してお参りします。ここから先は当然、写真撮影は禁止されていますので写真はここまでです。この先に見えているのが灯籠堂です。堂内には1,000年近く燃え続けている二つの「消えずの火」が有ります。1つは白河上皇が献じたもので、も1つは自らの髪を切り売って献灯したと伝わる貧女の灯です。

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この燈籠堂へ続く参道の左側に”みろく石”が有ります。小さなお堂の中に、みろく石がおさめられていて周りが格子に成って一部から手が入る様に成っており片手で、みろく石を一段上の棚に持ち上げる事が出来ると願いが叶うと言われています。私もお参りする度に挑戦しましたが全て成功してます。(数年前に石が一回り大きく成りました)

みろく石の反対側には春日局供養塔が有ります。

そして燈籠堂に一番近い左手奥には歴代天皇陵が有ります。

燈籠堂に入る時に、入口にも置いていますが、お坊さんから塗香(ずこう)を一つまみ頂けるので、それを手の平に塗りこむ様にして、けがれを除きます。燈籠堂の中に入り正面に立つとお堂の背面の扉が開けられているので、そこには御廟が現れています。礼拝を済ませ裏手に有る御廟に向かいます。御廟では四国八十八箇所を満願成就したお遍路さんなど沢山の方が熱心に礼拝しています。そして最後は燈籠堂の地下に有る、お大師様に一番近づく事が出来る祭壇が有ります。(弘法大師は窟の中に入定されているので祭壇からの水平方向線上にいらっしゃり一番近くで礼拝できます。)

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建物の前に小さなお堂が有りますが、ここには嘗試地蔵(あじみじぞう)が祀られています。弘法大師は今も生きながらに禅定に入っている事から食事をして頂くため毎日午前6時と午前10時30分の2回、ここで味見して頂き御廟へ運ばれます。

これより、裏参道からの供養塔・碑をUPします。みなさんご存知の有名企業です。

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この新明和工業株式会社さんは自衛隊で使われているUS-2と言う飛行艇を作っている事で有名になりましたね!。何と言ってもロケットの供養碑ですから一番目立ちます。

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この供養塔は特段変わってませんが両サイドを見て下さい!コーヒーカップが有りますね!UCCでおなじみの上島珈琲さんです。 ヤクルトさん、福助さん。

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この他にも沢山の有名企業の供養塔・碑が有ります。

高野山も2004年7月に熊野・吉野・大峰とともにユネスコ世界遺産に登録され日本を訪れた外国人観光客が日本で行きたい観光地として常にベスト10に入っています。高野山はパワースポットとしても有名ですが心穏やかな自分を感じることが出来る聖地です。

和歌山を旅行する時は大阪方面からだと高野山→龍神温泉(美人の湯で有名で入浴するとハンパ無い!ヌルヌル感がして肌はスベスベで入浴後は身体中ポカポカです。)→白浜温泉・アドベンチャーワールド(日本で唯一、親子パンダが居る総合レージャーランドです)が基本かな?。もう少し足を伸ばすと本州最南端の潮岬と熊野三山、那智大社(日本一美しいと言われる那智の滝)がお勧めです。

2015年7月27日 (月)

高野山 (その2)

1_2真言密教のシンボルである、この根本大塔は弘法大師が高野山を開創され最初に着手した建物の1つで壇上伽藍(僧侶が修行をする閑静清浄な所)の中心に有り、朱色の高さ48.5m、23.5m四方で堂内中央には大日如来(胎蔵界)が祀られています。現在の大塔は昭和12年に再建された六代目ものです。

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大伽藍への入口は金剛峰寺の横に有るこの蛇腹路(じゃばらみち)から入ります。弘法大師が高野山の配置を龍に例え、このあたりが龍のお腹付近にあたる事から蛇腹道と呼ばれるように成ったそうです。この道を進むと最初に目に入るのが東塔です。昭和58年年に再建されました。

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東塔の横には三昧堂(さんまいどう)が有ります。この堂は歌人西行が30年にわたり修行したところだそうです。このお堂の前には西行が植えた桜も有ります。

三昧堂の横には大会堂(だいえどう)が有ります。このお堂は鳥羽法王の皇女である五辻斎院(ごつじさいいん)内親王というお方が、父帝の追福のため建立されましたが当初はこの場所ではなく、後にここへ移築されました。

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右の建物は愛染堂(あいぜんどう)です。このお堂は醍醐天皇の勅願により天下泰平を祈るために建立されました。現在も護摩祈祷を定期的にされているので何度か訪れた際に、祈祷されているお坊さんの後ろで手を合わせてお祈りしました。

1_7左手にある、この不動堂は高野山内で最も古く壇上伽藍内で唯一、国宝に指定されたお堂です。現在のお堂は14世紀初頭に再建されたもので明治41年この地に移築されました。このお堂は大変興味深く四隅の作りが全て違い4人の大工が四隅からてんでんバラバラに造ったと江戸時代から言われているそうです。

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厨子の扉は硬く閉ざされ本尊である不動明王を拝観する事は出来ませんでしたが普段見られない内部を見る事が出来て満足でした。

不動堂の先に有る階段を上ると根本大塔があります。その反対側に大塔の鐘が有ります。

Fuji_camera_049この鐘は大師が発願され二世真然大徳の時代にようやく完成したと伝えられています。現在の鐘は1547年に完成したもので直径2.12mあり日本で四番目に大きな鐘であったことから高野四郎と呼ばれるようになりました。現在でも毎日午前4時、午後1時、午後5時(春季彼岸中日より秋季彼岸中日までは午後6時)、午後9時、午後11時の5回に分けて108の鐘の音を高野山内に響かせています。

 

 

11根本大塔と並んで弘法大師によって創建され壇上伽藍で重要な金堂が有ります。この堂は当初は講堂と呼ばれ高野山一山の総本堂で今でも主な行事はここで行なわれています。本尊は高村光雲作の薬師如来で、また曼荼羅の軸が掲げられてますが平清盛が自らの額を割った血で中尊を描かせた「血曼荼羅」と言われています。経年劣化による損傷が心配され先日、デジタル技術により複製の軸も作られたそうです。

 

1_3金堂の裏手には弘法大師が唐より帰国する時に明洲の浜から真言密教を広めるに相応しい場所を探すために日本に向かって三鈷杵と呼ばれる法具を投げた所、紫雲が現れ雲に乗って飛んで行った。日本に帰国後、根本道場を建てるのに相応しい地を求め諸国を旅している時に白黒の2匹の犬を連れた狩人に出合い道場に相応しい地は無いか尋ねると犬に案内させると言って狩人はその場を立ち去った。

 

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途中、夜を明かすために神社に立ち寄ると、夢枕に女神が立ち、「あなたがこの山に来られたのは私の幸せです。この山を永久に献上します」と告げられた。そして犬に導かれるままに高野(たかの)を訪れたところ、唐の砂浜から投げた三鈷杵が松に引っ掛かっているのを見つけ、それにより、この地が真言密教を広めるに相応しい場所として決心したそうです。その言われからかこの松葉は3葉に成ってます。

ここを訪れた人達はこの松の下で3葉の松葉を拾ってます。私も拾ってお守り代わりに大切に財布に入れてます。

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三鈷の松の前には御影堂(みえどう)が有ります。このお堂には、弘法大師が右手に三鈷杵、左手に数珠を持った有名な軸が祀られています。この軸は真如親王直筆の「弘法大師御影像」です。ここは高野山の重要な聖域の1つで有り限られた人しか堂内には入る事が出来ませんでしたが、近年に成って旧暦の3月21日(弘法大師が入定した特別な日)の前夜に行なわれる「旧正御影供」の時に外陣のみへの一般参拝が許されるように成りました。(写真の扉の内側をぐるりと廻って参拝出来ます。)当日、私も参拝しました。この日は伽藍内の殆どのお堂の正面扉が開放されていて祀られている仏様を拝む事が出来ます。(当然、、金堂などで秘仏と言われている仏様は見れません)根本大塔も正面扉が開けられ外から大日如来を拝むことが出来ます。

1御影堂の左横には准胝堂(じゅんていどう)が有ります。本尊の准胝観音様は弘法大師が得度の儀式を行う際の本尊として自ら造立されたと伝えられているそうです。現在のお堂は明治16年の再建です。

写真の通り通常はどのお堂も正面の扉が閉ざされており正面の覗き窓から入る明かりでしか仏様を拝む事が出来ません。壇上伽藍で何時も堂内を拝観出来るのは根本大塔と金堂のみです。(有料ですが拝観する価値は十分有ります!)

 

1_2孔雀堂は干天(日照りで長く雨が降らないこと)の時に後鳥羽上皇の御願により東寺の延杲大僧正(えんごうだいそうじょう)が祈祷し、成就したことにより賞賜として建立されました。本尊の孔雀明王像は快慶作で重要文化財に指定され、霊宝館(高野山に関する沢山の国宝や文化財が収蔵されてます)に収められています。今では代わりの本尊が祀られていますが旧正御影供の時に拝観させて頂いた時の本尊は孔雀の背中に仏様が載っていました。

 

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西塔は杉木立の中に建ち趣の有る佇まいを見せています。弘法大師はこの西塔を根本大塔と同様に密教世界の重要な建物として位置づけていました。大塔が胎蔵界大日如来に対して西塔は金剛界大日如来が祀られています。光孝天皇の勅命により高野山第二世である真然大徳によって建立されました。現在の塔は1834年に再建されてます。写真では分かりにくいですが石灯篭は江戸時代に世界で初めて全身麻酔を用いて乳癌手術を成功させた華岡青洲(和歌山県紀の川市)の寄進によるものです。開創1200年記念として今年、中門が再建されましたが、この木立の奥に有る樹齢数百年の檜が中門の再建に使われています。

Photo_2六角経蔵(ろっかくきょうぞう)、皇后の美福門院得子が後鳥羽上皇の菩提を弔うために創建しました。堂内には経が納められています。このお堂の前に立つと腰の辺りに把手が等間隔に何箇所か設置されており台座の部分が廻る様に成って一回りすれば一切経を一通り読誦した功徳が得るといわれているそうなので1人で挑戦しましたが全くビクともしませんでした。おじちゃん、オバちゃんの団体さんも挑戦してましたが廻りませんでした。日頃の功徳が足りんのかな~?

 

1_6山王院は御社(みやしろ)の拝殿として建立されました。山王院とは地主の神を山王として礼拝する場所の意味です。現在の堂は1845年に再建されたものです。

御社は弘法大師が高野山開創にあたり丹生明神・高野明神を勧請しました。ここで言う丹生明神は三鈷の松で説明した女神で狩人は高野明神だったのです。また総社として十二王子・百二十伴神がまつられています。

 

1_7日本は古来より神を信仰する国でしたが平安時代には仏教が大きく信仰を集めた時代でした。平安時代には空海と一緒に唐に渡った最澄がいます。最澄は唐で天台宗を学び比叡山に延暦寺を建て修行の場としました。比叡山からは多くの開祖が誕生しています。浄土宗の法然上人、臨済宗の栄西禅師、浄土真宗の親鸞聖人、曹洞宗の道元禅師、日蓮宗の日蓮上人、時宋の一遍聖人、天台宗真盛派の真盛上人と多くの宗派が誕生した事から比叡山は仏教の母山と言われています。

真言宗では人間は生きたまま仏に成れるとの教えがあります。空海は唐で密教(みっきょう=ひみつのおしえ)を学び高野山をひらきました。密教は、お祈りやおまじないによって望みをかなえたり、病気や災いを除いたり出来るといわれ、嵯峨天皇に子供が授からず空海の一番弟子である甥の智泉が祈祷を行い男子を授かった事から高野山を賜ったとの経緯もあります。高野山に一番最初に御社を建てた事からも空海は日本古来の神と仏教を崇め奉る神仏習合の思想も持っていたようです。

2015年6月30日 (火)

高野山 (その1)

1 高野山は和歌山県の北部に位置し、和歌山インターから約40kmで2時間ほどで行けたと思います。高野山と言う山は無くて高野山は山上に有る寺院全体の総称のようです。高野山を車で訪れると一番最初に目に入って来るのが、重要文化財に指定された大門です。また同様に空海を始め1200年前から多くの人々が歩いて訪れたであろう表参道の高野山町石道を辿ると山上で最初に目にするのがこの大門です。丁度この写真を撮った後ろに町石道が有ります。この大門は標高約:850mに有り1705年に再建され、高さが25.1m、2体の金剛力士像が睨みを利かせてます。この仁王様は東大寺南大門の仁王様に次ぐ国内2番目の大きさです。

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高野山が多くの人から信仰を集めるように成ると参拝が盛んに成り参拝者が辿った主な道が7つ有った事から高野7口と呼ばれていたそうです。

1_4しかし明治5年の女人禁制が解かれるまで女性は山内に入ることが出来ず各登り口に女性のための参籠所が設けられ、女人堂と呼ばれました。その参詣道の中でも前述した表参道の高野山町石道(こうやさんちょういしみち)は根本大塔を基点として九度山に有る慈尊院までの180町石(1町=約109m)と根本大塔から奥の院までの36町石が設けられています。空海の時代は卒塔婆を立てて道標(みちしるべ)としていましたが鎌倉時代に五輪塔形で高さ3.3mの花崗岩で町石として建てられました。この写真の町石は壇上伽藍に有る根本大塔から三町のものです。この表参道の慈尊院には空海のお母さんが祀られてます。空海に会いに来たお母さんは高野山へ入る事が出来ず空海が月に9度、お母さんに会いに来ていた事から九度山と言う地名が付けられたそうです。

大門に向かって右奥に200mほど行くと、観光客の人には余り知られていない、ひっそりとたたずむお堂が有ります。

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”願い事地蔵”です。なんでも願い事を1つだけ叶えてくれる、お地蔵さんだそうです。その時は私も早速1つだけお願いをしときました。

高野山へのアクセスは一般には車か南海電車を乗り継いで山上へはケーブルカーで来る方法が有ります。車酔いする人は電車にして下さい。山上ではバスが頻繁に走っており不便は無いと思います。高野山道路は延長17km全線2車線の山岳道路です。

1_7昔、道路公団が作った道ですが険しい山道なので急カーブの連続でバスが離合するのも大変な所が何箇所も有り登りでは観光バスが何台か連なるとトロトロです。昭和の時代に比べ道路の拡幅や整備が年々行なわれ随分と走り易く成り、この道路のお陰で観光や山上の人達の暮らしに大きく貢献しているのは確かですが昭和62年には高野山から三大美人の湯で有名な龍神温泉までの高野龍神スカイラインも開通していたのでチョッと?です。(ヤッパリ貢献度?。)高野龍神スカイラインはその名前のごとく標高1,000mの近畿の屋根を走る事からもドライブやツーリングとして賑わってます。特に秋の紅葉のシーズンは渋滞する事も・・・。

因みに8月10日は”道の日”です。


PS:ネタが無い時には高野山の写真を少しずつUPしていきます。

2015年6月21日 (日)

大山祇神社 お田植え祭・一人角力 (大三島)

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大三島は瀬戸内海で5番目に大きな島で日本総鎮守の大山祇神社が祀られており”神の島”として知られています。山・海・戦いの神として有名な事から朝廷や源平をはじめ多くの戦国武将などからも崇拝を集め多くの武具・甲冑が奉納されており国宝館には国宝・重要文化財の甲冑の4割近くが集められています。中でも有名なのが瀬戸内のジャンヌダルクと言われる鶴姫のものと伝わる鎧で国内唯一、女性用の鎧として保存されています。神社の入口に有るこの鳥居は”二の鳥居”です。一の鳥居は海岸に面した所に有ります。

Dscf14301二の鳥居をくぐると総門が見えます。総門は2010年に造営されました。

お寺の門では仁王像が鎮座してますが、こちらは古代の戦いの武士?でしょうか?。

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総門をくぐり広い境内に踏み入ると、左手に、ひときわ目を引く大楠が目にはいってきます。

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こちらの楠は左記の説明文にも書かれている様に日本最古で樹齢3,000年!あの屋久杉の縄文杉が4,000年以上だそうです。

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次は境内中央に有る大楠です。この楠の周りを息を止めて3週すると願い事が叶うとか、一緒に写真を撮ると長生きするとか言われているそうです。知らんかった=!(´;д;`)次回訪れた時は秘密のお願いをしよー!(^ω^)

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左手奥に有る楠が初代内閣総理大臣として有名な伊藤博文が参拝された時に植えられたものです。

 

Dscf14381その後も旧帝国海軍連合艦隊司令長官である山本五十六もこの大山祇神社に参拝されてます。それ以降も現在に至るまで政治家・自衛隊・保安庁など肩書きの有る偉い人達が参詣されているそうです。

階段を上ると神門が有り、その向こうに拝殿が見えて来ました。

私も早速、お賽銭し参拝しました。

 

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一通り参拝を済ませ今日の目的で有る”お田植え祭と一人角力”の会場で有る”御棧敷殿(おさじきでん)の斎田”に向かいました。この祭事は旧暦の5月5日に行われます。

Dscf1453111時は既に三脚や脚立を立て場所取りをしている人達がいました。何時から祭事が行われるのか分からずベンチに腰掛けて待ってましたが30分を過ぎた頃に法被を着た関係者の方が居たので聞くと12時30分から神事が行われココで祭事が行われるのは13時頃と教えていただきました。(>д<)エエー!未だ1時間30分も待つん!?。それでも周りを見渡せば50人程の人達も居るし。。。今朝5時起きで作った弁当を1人食べるのは場違いな雰囲気やし・・・。朝一で青影山に登った疲れとでチョッと心が折れました(´;д;`)

13時に成る頃にはアッと言う間に沢山の人で会場は埋まり身動きもまま成らない状態です。300人位は居たと思います。”まるたま君の動画で見て下さい”

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見学に来た会場の人達も起立礼拝し厳かに神事が執り行われました。最初に一人角力(一人相撲)の始まりです。

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一人角力は国の無形民俗文化財に指定されており2勝1敗で必ず神様が勝つ様に成ってます。今回も無事神様が2勝されました!(*^-゚)v 次に小学生の女の子達による”お田植え祭”です。

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2時間待ってビデオと写真撮りましたが初めての神事に参加出来て良かったかなと思います。ビデオは何時もの通り”まるたま君”にお願いし彼のブログにUPしてもらう様にしたので、そちらでご覧下さい。→ http://blogs.yahoo.co.jp/juku764021/39304692.html

境内と少し離れた奥の院の途中に立つ大楠、生樹の御門にも立ち寄る事にしました。

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この楠は真ん中が自然の洞を成し奥の院参拝の通路と成るので生樹の御門と言われてるそうです。写真の様に大きな空洞をくぐると長寿の御利益が有ると言われてます。早速くぐったのですがUターンしたのでご利益は微妙かな?(。・・。)

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次はもう50年近く前に成るかな~小学生の時に父に連れて行ってもらった”入日の滝”に行きました。大三島にこんな立派な滝が有るのを知っている人は少ないと思います。今日の目的はこれで終了ですがUターンして帰るのはイヤなので台ダム(うてなダム)を経由して林道を走る事にしました。なんせ今日は自転車は自転車でも原動機付き自転車(124cc)なんで何処へでも行けますーぅ!(o^ ^o) /

 

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奥山ダムより大きなダムです。この標識の反対側には浄水場が有りました。この先の林道はグングン標高を上げ耳が少しツーンとしました。しばらく走ると大三島橋と伯方・大島橋が見えました。その後、多々羅大橋も。

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その後、道を進むと立石展望台に到着し眼下を見渡すと美しい多々羅大橋が望めました!。

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帰りに橋脚の下からパチリと。

今日の走行距離68km。出発10時、帰着16時でした。結局お昼ご飯は自宅に帰って夕食兼用と成ってしまいました。保冷剤代わりにしていた凍らしたビニールジュースはとうの昔に溶け食あたりが心配でしたが24時間経った現在、至って健康です!(*^-^*)