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2015年4月 7日 (火)

「AFRICAN JAY」 感動の進水式(瀬戸内 因島)

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平成27年4月7日(火)12時30分から 内海造船 因島工場 で「AFRICAN JAY」の進水式が行われました。真新しい船体は紅白の幕と万国旗に飾られ美しい!の一言です。

オーナー(船主)アラブ首長国連邦の国旗掲揚、日本国旗掲揚と続き船名の命名そして鐘の音と共に作業開始されました。1ば~ん(作業員の配置)、2ば~ん(ベル音と共に盤木=船底に敷いて支えてる木の撤去)3ば~ん(ベル音と共に安全装置の解除)の掛け声に続きオーナーの手で斧が振り下ろされ支綱が切断されると船首でシャンペンが割れ船が船台の上を滑りだすとクス玉が割れ中から5色のテープと紙吹雪が舞い関係者や見学に訪れた人達から風船が放たれました。この感動の瞬間、最高でした!。 \(^0^)/ 

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私も35年程前には出向者として造船所内で設計の仕事に携わっていたので大型船を目の前に毎日の様に見ていたのですが久し振りに今一度、目の前で見る船の大きさに圧倒されました。トテツモナクでかい!塗装の黒と茶色の境が船底から丁度10mです。

造船マンには「進水式は晴れる」と言うジンクスが知られており今朝も暗い内には雨が降っていましたが明るくなる頃には雨も上がりました。式典は曇りでしたがそれでもバンザーイの気分でした。\(^0^)/

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 アフリカンジェイ(一般貨物船)の主要目、全長:183m、幅:30.6m、深さ:14.5m、満載喫水:10m、総トン数(船全体の容積):約23,850、載貨重量(積載出来る貨物の重さ):37,700t、乗組員:25名、航海速力:約14.1ノット(約26km/h)、30tデッキクレーン:4基、船籍:バハマ

進水式後、タグボートに曳航され艤装岸壁に向かう。奥には生名橋。

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式典に入場する際には関係者の方から、お祝いの”紅白饅頭”と進水する船舶のレジメ(船舶の特徴、主要目)が見学者に配られました。今回の進水式を一般の人達にも開放していただき式典に参加出来た事を感謝致します。長く続いた円高と中韓の攻勢により日本の造船業界は疲弊していましたが、近年の円安により中韓と対等に価格競争も出来る様に成り明るい兆しも見えて来ました。内海造船(株)も地元企業として頑張って下さい!応援しています!!。

*まるたま君のブログでは進水式の動画が見れると思います。↓(4月7日投稿分にて)

 http://blogs.yahoo.co.jp/juku764021

2015年4月 4日 (土)

散歩 (瀬戸内 因島)

F1000498_2今年の桜も今日で見納めと思い花見がてら散歩に行きました。ココは大浜です。
今日はアメニティー公園に沢山のキャンピングカーが来てました。ナンバーを見ると地元はもとより、さいたま・八戸など全国各地から来てました。車にステッカーが貼られていたので見ると、車中泊を楽しむ会の様な事が書かれてました。去年の初冬にも見たな~その時は北海道から鹿児島ナンバーまで有りました。今晩、みんなでワイワイ楽しく宴で盛り上がってるんだろな~。しかし、このブログ書いてる時も雷鳴って雨降ってるけど。。。それも楽しい思い出の1つに成るんでしょうね。

Dscf0010 今日は先日、閉校した土生小学校の脇道を歩いた時に桜が未だ満開のままだったので思わず1枚パチリ。もう誰も居ない教室と満開の桜との対比がなんか寂しい感じです。

Dscf0007 そして次に真新しい因島南小学校です。(旧土生中の面影は当然残って無いな~)

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Dscf0005今日は何時もの同級生と軽くトレッキングで普段通らない道を歩きながら、こんな山の上にミカン畑作って歳とったら作業するの難儀やでー!とか、造船とミカンしか無いからUターンする人も居ないし、空き家は増えてるしな~と正しくオッサン談議の世間話をしながら因島公園へ桜を見に行き、帰りは昔は賑やかだった本通り商店街を歩いて帰りました。土曜の昼間なのに本当に人通りも少なく昔の面影は何処へ?。

2015年4月 2日 (木)

桜咲いたよー!(因島 大浜)

桜の蕾も気が付けば一気にほころび春満開です!\(^0^) /

Dscf0006今日は桜の開花状況はどの位かな~と大浜へワンコの散歩を兼ねて行きました。

写真の場所は因島大橋へ行く自転車道の上に有る小さな広場です。この先に行けば橋全体を見渡すことが出来ます。反対側に行けば大浜PAです。 

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この場所は隠れたスポットかな?と思っていたけどヨクヨク考えたら平日の昼間にヒマなのは自分だけやった=!(-_-; この場所を後に帰っていたら前から、やけに大きなザックを背負った老夫婦とすれ違いざまに挨拶をしてハイキングですか?と聞くとナント!今治から数日掛けてここまで歩いて来たとの事!最初に思ったのがやけに2人共、日焼けしてるな~と思っていたけど、それにしても凄い!!。奥さんはスコブル元気やったけど、ご主人はチョット疲れてたかな?(先日のサイクリングの誰かさんと一緒?(^^ゞ 。)今日は因島の民宿に泊まるそうです。しまなみ海道も色んな楽しみ方があるんですね~。

Dscf0002大浜の海岸の桜も満開です。奥に見えるのが海水浴場。

今日も昼からは暑く散歩中は常にゼイゼイはぁはぁ、して水呑んで家に帰って来たら何時もごらんの有様です。sleepyイビキ聞こえますか!?

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明日は桜に厳しい雷雨で大雨の予報。明後日から晴れて週末まで桜が持ちます様に!!。

2015年4月 1日 (水)

サイクリング(瀬戸内 生口島)

1しまなみ海道の生口島には国宝三重塔が有ります。今から538年前に建立され、国宝の三重塔では最も新しいそうです。高さは19.52mの、こじんまりとした趣のある塔です。

瀬戸田町は現在の尾道市と合併する以前から芸術に特化した施策を取っており島内にはベル・カントホールと言う日本有数のコンサートホールがあります。ベルカントとはイタリア語で「よく響く美しい歌声」と言う意味で国内外のアーティストが好んで演奏会を行っています。

日本を代表する日本画の平山郁夫画伯はこの瀬戸田町で生まれました。その縁からも平山郁夫美術館が設立され少年時代の絵そしてスケッチ、下絵など貴重な資料に接することが出来ます。

”島ごと美術館”と言って島全体を美術館に見立て現代アートが島内の色んな場所に配置されてます。

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これは「波の翼」と言われ風向きによって羽根の形が変化します。また向こうに見えるのが、ひょうたん島と言って白黒テレビの時代にNHKで放送されていた”ひょっこりひょうたん島”のモデルとも言われています。右はサンセットビーチに有る「空へ」と言う作品です。(サンセットビーチは昨年から愛称が広く募集され先月、”しまなみレモンビーチ”に決まったそうです。2つの呼称が有って何かややっこしい?と思うのは私だけ?。)サンセットビーチは水浴場88選にも選ばれてます。このような現代アートが17作品、島内に散りばめられています。何処でも撮影に一生懸命な”まるたま君”そしてサイクリングの様子はまるたま君のブログ動画で↓

http://blogs.yahoo.co.jp/juku764021/39123154.html

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1999年しまなみ海道の開通記念として平山画伯が、しまなみ海道五十三次スケッチポイントとして水彩画60点を描きました。写真の様にそのスケッチが御影石に組み込まれ実際のスケッチ場所に飾られています。

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今までしまなみ海道の橋を渡る時は原付道しか走った事は有りませんでしたが、今回初めて歩行者と同じ自転車道を走りましたが橋の上は気持ち良い!\(^0^)/の一言でした。

生口島から少し足を伸ばし多々羅大橋を渡り多々羅しまなみ公園で休憩しもう一頑張りして帰路に就くも全然ペダルを漕ぐ力が入らず電池切れ状態です。(>_<)未だ半分の道程が残っていると言うのに。途中で普通の自転車のおっちゃんに勢い良く抜かれ見る間に姿は消え最後の生口橋の上りではスローモーションの様な進みで何時バタンとコケルか分からないようなヨロヨロ。やっとで因島に辿り着き後は気力のみでどうにか無事、家に着きました。まるたま君は優しいので元気に自転車漕いでいるシーンしかUPしてませんがホンマしんどかった!!。シャワーを浴び体力回復に天下の宝刀!チオビタドリンク登場!!と成りました。v(^^)v

自転車の通行無料も1年延びたそうなので、少しづつ自転車乗って体力付けて今治まで行きたいな~!。

2015年3月30日 (月)

因島公園 散策

Dscf0014春の陽気に誘われて桜の開花状況はどんなのか見て来ました。(^0^)

鯖大師の周りにも桜の木が有りますがごらんの様に未だ蕾の木が殆どです。咲いてる木も少し有りましたが1分程度でした。

後ろに見えるのが天狗山(207.3m)で山頂にはテレビ塔が有ります。またここより山頂に向かう登山道は”つれしおの石ぶみ”と言われ因島にゆかりのある文学者(今東光、吉井勇、林芙美子など)の小説の一文が刻まれている小路を散策する事が出来ます。

この鯖大師の言われは昔、旅僧が因島に立ち寄った時に漁師に鯖の施しをお願いした所、悪態を付きながら漁師は断りました。その後、漁師が魚が入っていた籠を見ると鯖や鯛など全ての魚が腐っていました。それに驚いた漁師は旅僧を探し深く懺悔しました。旅僧は漁師を許し腐った魚を海に放し、お加持すると魚は生き返って泳いで行ったと言う霊験です。大正時代に”村井才吉”さんが私財を投じ庭先にこの像を建てていましたが因島公園の整備に伴いこの地に移設されました。その頃と同じ様に鯖大師を囲むように四国八十八ヵ寺の石仏が並んでいます。街中に建立されていた時には私も小さい頃には近所だったので小さな境内で遊んだ記憶があります。

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石ぶみから瀬戸内を望む(眼下には造船所)

因島公園から見る夕日は因島八景の1つにも選ばれています。

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テレビ塔からの眺望。 (右)村上水軍像

2015年3月29日 (日)

奥山散策 (瀬戸内 因島)

 

Dscf1132因島で一番高い山と言えば奥山(観音山)390.2mです。昔からの山岳信仰の対象であった面影を残す様に山頂には沢山の石仏が祀られてます。関西に住んでいた頃には修験道の開祖で有名な役行者が修行したと言われる紀伊山地にある大峰山系の山々にも登りましたが登山中、良くホラ貝の音を聴く事もあり、その山頂にも仏様が祀られています。登頂すると達成感もあり自然と手を合わせています。

 

Dscf1163奥山へ登るコースは色々ありますが私は何時も中庄方面から登ってます。道路が整備されているので大山峠近くまでバイクで行ってます。

地域の人達が大切に守っている地蔵菩薩堂から歩いて大山峠を目指します。ここから峠までは僅か300m程です。峠までは昔の舗装道なのでガタガタ道ですがイノシシ狩の人はたまに峠まで軽トラで行ってます。

 

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お堂から少し行った所で道しるべが有ります。写真のように右は田熊、左は土生・三庄と書かれています。今のように道路やトンネルが無かった昔の時代は島を南北に行き来する大切な道だったんでしょうね!。この先、左の道を200m進むと大山峠に成ります。

 

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何時もの様に大山峠で土生方面からの同級生と合流し奥山山頂まで1.5kmの道のりを楽しみます。しばらく行くと右の階段状の登山道に成ります。写真では分かり難いですが結構な登りで慣れてない人はここでゼイゼイはぁはぁとワンコのように息を上げます。(^-^)その先も稜線に出るまで登りが続きます。階段状の登山道を上りきった中間地点になると案内標識があります。そこからは稜線を登り下りしながら開けた視界を楽しみながら進みます。その後、頂上まであと500m、200mの標識が出てだんだんと元気が出て来ます。頂上に近づくと道の傍らに仏様が並んでます。もう頂上は直ぐそこです。

 

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頂上は石仏と東屋が有り視界も開け瀬戸内海を一望出来ます。遥か遠く四国の稜線も見渡せ最高の気分です\(^0^)/

Dscf1134薄っすらと写真の中央の上あたりに見えるのが四国の稜線です。ここより1,500m以上も高い山々です。こんな景色見ながら珈琲飲むの最高ですよ!。

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昨日、作った標高標識は表に登頂記念、裏には我々の銘を入れました。

東屋に掛けているだけなので記念撮影をする人が使ってくれたら嬉しいです。と、そこで終わりだったのですが。。。無事帰宅し、明日は雨の予想だったのでワンコの散歩に行こうとした所、ジャージの上着が何処を探しても見つからず何処かで落としたみたい・・・。(>_<) 早速バイクで奥山に向かってUターン。結局道路にはそれらしき服は無く、仕方なく再登山開始!荷物は無いので結構早く歩けるけどホンマ登山道に落としたんかな~?と疑問を持ちながら進むが一向に無く、もうそろそろ頂上に近づいた頃、アッタ=!標識に誰かが引っ掛けてくれてる~!v(^^)v 多分、頂上で休憩していた時に登ってきた夫婦の方だろうな。ありがとうございます!。

Dscf1151300mここまで来たんで山頂まで行きました。本日2度目の登頂を果たしました!。しかし流石に疲れたな~。

少し前に、この標識に書いてる三庄町の観音寺からも登りましたが、この道は中腹から直登の登山道のため急な斜面で足元はズルズル滑り登りも下りも大変でした。普通は急斜面は階段状の道に成っていますが、ココはそのまま斜面のままなので下りは滑ったら下まで転げ落ちるかの様でスリルを感じながらの登山でした。

2015年3月27日 (金)

奥山 標高標識作ったよー!

1もう10年以上も前に仕舞い込んでいたコッピングソー(日本語では電動卓上糸鋸盤と言った方が女子でも分かるかな?)を出してチョット日曜大工を楽しんでみました。この電動工具は衝動買いで2~3回使っただけです。

材料は手元に有る物を使って作ります。文字はカマボコ板を加工する事にしました。その他は倉庫に有った板・ペンキ類のみです。

 

 

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フリーハンドで紙に書いた文字をカマボコ板に映し、鋸で切り抜きます。

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細かいところはカッターやドリルで加工します。

1_4どうにか失敗せず切抜きが出来ました。我ながら、ほぼ初めてにしてはまあまあの出来かな?と。

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切り抜いた文字に錆び止めの茶色を塗ります。ベースと成る板に銀色を塗り、ペンキを乾かした文字をボンドで貼り付けました。念には念を入れ剥がれない様にグルーガンで補強します。 出来たぞ=! \(^0^)/

 

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明日、奥山に設置して来ますぅ~!

 

2015年3月25日 (水)

立石山 散策 (生名島)

 

1因島の土生港前の長崎水道を隔てた直ぐ向こうが生名島です。そして見える山が立石山です。生名は愛媛県で手前の因島は広島県で目の前の長崎水道が県境と成ります。

本日は天気も良いんで気晴らしに同級生と生名でニ番目に高い立石山(138.6m)に散策に行く事にしました。

長崎桟橋からフェリーに乗り5分ほどで対岸の立石港に着きます。大人:70円(片道)

立石山は神霊が宿る山として、瀬戸内海の航海の安全や、豊漁、豊作の祈願が行われてきた山で山頂には弥生時代の祭事を行っていた遺跡も出たそうです。

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登り始めの取り付き道の脇の桜は早や3分咲き程度にまで開花し春の訪れを感じます。しばらくすると子安歓音寺のお堂があり中には軸と仏像が祀られていました。2人してお賽銭をお供えし手を合わせました。ここからは、つづら折りの道が続きます。遊歩道に整備された道中には色んな仏様が所々に祀られてます。

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一番奥の切り返しの所に仏様が祀られてます。お堂からは15分ほどで頂上です。山頂には大きな岩が並べられたかの様に成っています。石神(いしがみ)神として崇められた石、磐座(いわくら)神が天から降りてきて座る石、磐境(いわさか)神域の境に並べられた石、で構成されているそうです。

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今日の珈琲タイムはこの磐座の上です。凄い景色がエエで~!と一生懸命撮影する”まるたま君” http://blogs.yahoo.co.jp/juku764021

1_8インスタントのカフェオレとカプチーノですが最高の景色と鶯の鳴き声を聞きながら美味しく優雅なひと時を過ごしました。

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向こうに見えるのが桜で有名な岩城の積善山です。積善山には三千本もの桜があるそうです。

1_10山頂と反対側には展望台があり最高の景色を見ることが出来ます。 現在は生名・佐島・弓削島の3島が2本の橋で繋がってますが平成30年代には生名と岩城島が橋で繋がるそうです。予想図では写真中央の突端に橋が掛かる見たいです。

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生口橋も普段と違う方向から見ると全く違った雰囲気に見えるから不思議だな~。生口橋は建設当時は世界一の斜張橋でした。

おっさん2人は次は何処へ出没するんでしょうか?。。。(^o^)

2015年3月24日 (火)

安政柑祭り(瀬戸内 因島)

 

F1000411_2安政柑は八朔と同様に因島の田熊町で発見された柑橘です。その実は八朔よりも1.5~2倍と大きく、中には1kg以上の果実もあり果汁が多く甘いのが特徴です。名前の由来は安政年間(江戸時代)に発見され栽培が広まった事によるそうです。文旦から派生したものとも言われて増すが自分個人の感想では文旦と八朔を足して2で割った様な味かな~?。

亀甲山八幡宮の境内には橘神社が有り安政柑の原木を祀っている事から毎年(今年で4年目ですが)安政柑祭りを行っています。

今年は3月22日(日)に第4回の安政柑祭りが地元の人達を中心に賑やかに行われました。境内では柑橘類や安政柑を使った大福や小さいお子さんには、わた菓子などの販売もしていました。

 

 

F1000378田熊町内の安政柑畑の傍の道路に面して安政柑の句碑が建てられています。

9時30分から亀甲山八幡宮の境内にある橘神社で厳かに例大祭(柑橘・菓子の神様)と安政柑顕彰祈願が執り行われました。

私も法被を着た氏子さん達の後ろで写真を撮りながら一緒に参加させていただきました。

 柑橘類では安政柑が一番好きです!。

 

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宮司さんは横笛を吹き、巫女さんは笙(しょう)といわれる笛を吹いて優雅な雅楽を奏でていました。雰囲気は平安王朝。神主さんの祈祷が無事終わり次に氏子総代で代表者の方が一番先にお参りしますが、そこで私やってしまいました!(>_<) 代表の方が2礼して拍手を打つより先にフライングして打ってしまいました(ToT) 。他所の人が賽銭を入れたタイミングで先にお願い事した気分でした。←チョット違う? 

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橘神社の直ぐ後ろには安政柑の木と一段と小さな小みかんの木?が植えられていました。ピンポン玉ほどしか無い! *きんかんじゃ無いですよ。

祈願祭も無事終わり恒例の神楽が有るらしいので、どんなか一目見て帰ろうかな?と椅子席が空いていたけど直ぐ帰れる様に立ち見してました。

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左は悪魔祓い  右は八重垣の舞(家庭繁栄と豊穣を祈る舞)

田熊神代神楽団と言って地元の有志一同で伝統を守っているそうです。

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(左)蛇との戦い   (右)蛇退治(頭を一突き)

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(左)子弓の舞      (右)恵比寿の舞

全然興味なんか無かったのにオッサンに成ったせいか結局最後まで見入ってしまいました。楽しかったな~。神楽が終わると三宝に祀られていたお供えを、来場者全員に配ってくれました。

2015年3月22日 (日)

因島 土生小学校 閉校式

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 平成27年3月22日 尾道市立土生小学校 閉校記念式典がありました。            校歌と記念碑

明治6年3月1日に対潮院に創立され、そして平成27年3月22日に閉校式が有りました。実に142年と言う長い歴史に幕を閉じました

閉校記念式典には親子2代、3代の卒業生は普通に4代・5代以上の家庭の人も居るんでしょうね~!。単純に見積もっても15,000人以上の卒業生は居ると思います。

私達の頃の全校生徒は約1,500人で言わばマンモス校でしたが年々児童数も減少し1割程度に成り来年度からは近隣の土生・三庄・田熊町の小学校が統合し4月からは土生中学校跡地に新しく因島南小学校として開校されます。土生中学校は平成22年3月に閉校し旧:因島高校の跡地に今回の統廃合と同様の3町で平成22年4月に開校しています。

今日は最後の日と言う事で特別に校内を見学させて頂く事が出来ました。私も因島土生中トリ・イヌ会のメンバーとして同級生達と40年以上も前の懐かしさや思いでを語らいながら校舎内を見て廻りました。

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教室、昔のままです。でも在校生の減少から殆どの教室は使われていません。

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プラネタリウムは1度見たかな~?屋上の白のマーキングは天下町人を思い出すな~。クラブ活動の朝練じゃ無いのに朝早く登校してドッジボールをしていて相手のボールから逃げるのに正対しているので後ろ向きに転んで後頭部を打って涙流していたの思い出すな~。

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中庭には海水の水槽が有ってカブトガニが居た記憶が、この渡り廊下の先には木造の建物が有り2Fには図書館、1Fは保健室と教員室が有ったな~。

校舎内には昔を思い出す写真が飾られていました。

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今と成っては古い校舎も趣を感じます。 昭和39年と言う事は校舎の屋上の1964の数字か校庭の人文字に自分も入って居るはず。。。

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ポルノグラフティーの新藤さんがビデオレターで小学校の思い出を話してくれた職員室の裏に有った恐竜?動物のオブジェが写った写真。 最後は校歌を校庭で在校生と卒業生で合唱。朝夕~映えて♪~天~狗の山も~♪

Dscf1093_3 最後は皆で風船を飛ばして別れを惜しみました!。

ありがとう!因島土生小学校 そして、さようなら! (^-^/"

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